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芥川賞作家、井上靖(1907~1991)

以下は私自身の二代目主人への取材をもとに「名作を生んだ宿」からの一部抜粋を加え、私の主観を基に

オリジナル構成した。


靖が小説「海峡」を書いたころの下風呂温泉

現在は海側が埋め立てられて二つの岩のあたりは公園になっている。

また温泉街と海の間に国道279号線が走っている。


現在の下風呂温泉街

温泉街というのはどことなく哀愁を誘うものである。

本州の北の果てとなればなおさらである。


温泉街の東の端にある老舗旅館「長谷旅館」(創業明治4年)

ひなびた温泉街は情緒があるが、この旅館には今でも井上ファンが訪れる。


海峡の宿長谷旅館の玄関

靖が訪れた昭和33年の時のバス停は今も変わらない。

靖は当時の大間鉄道(今は廃線)で隣町大畑町で下車して、バスに乗り換えて下風呂温泉に来た。


靖が昭和33年に小説「海峡」を執筆した参号室(今でも宿泊可能)

海が見え、非常に落ち着いた感じがする部屋である。

靖はどんな気持ちで「海峡」を書いたのだろう。


靖が宿泊した参号室から津軽海峡を望む

晴れた日には北海道が見える。

昔はこの護岸がなく目の前は海だった。

ここで靖は春先の荒れる津軽海峡を見て小説「海峡」の構想を練ったに違いない。

そして雪の中の取材の後やこの部屋での執筆に疲れると階下の温泉につかって心と体を癒した。


取材後、靖は雪で凍えた身を硫黄臭の強い温泉に沈めた…

(以下小説海峡より抜粋)

バスが下風呂温泉部落へ着いた時は、五時を廻っていた。

一番構えの大きい旅館の前が停留所だった。

二階の海の見える部屋へ案内された。丹前に着がえ、すぐ階下にある浴室へ下りていった。

泉質は硫黄泉である。体の表面からじわじわと湯が内部へ向って浸透してくるように感じられた。

…ああ、湯が滲みてくる。

本州の北の海っぱたで、雪の降り積もる温泉旅館の浴槽に沈んで俺はいま硫黄の匂いを嗅いでいる。

なぜこんなところに来たのだ。…杉原は詩人になっていた。…


風呂から見た海

当時は風呂の前は海だった。今でも風呂からも津軽海峡が見渡せる。


井上靖文学碑



小説「海峡」(昭和33年)

冬の津軽海峡は荒れる。荒れる海峡には哀愁があり、ドラマを生む。

小説「闘牛」「氷壁」「あすなろ物語」などで有名な芥川賞作家、井上靖(1907年~1991年)は

昭和33年3月に小説「海峡」を書くために青森県下北郡風間浦村の下風呂温泉の長谷旅館を訪れた。

二階の参号室に宿泊した靖は、冬の津軽海峡を身をもって体験するために付近を取材して歩いた。

取材後、宿に戻った靖は雪で凍えた身を硫黄臭の強い温泉に沈めた。

この宿に靖が泊まった昭和33年は参号室の北側は現在のように国道279号線がなく、旅館の南側に旧

道があるだけだった。

参号室の目の前には津軽海峡が窓越しに広がっていた。晴れた日には北海道が望めるが春先のこの季節は

季節風が吹き荒れ、彼は白波が立つ海峡を頻繁に見ていたに違いない。

小説「海峡」はそのような状況の中、主人公になり切っていた靖によって書かれたのである。

小説家は作品を書くのに非日常的な刺激を求めることが多いが、靖の津軽海峡体験はまさにそれを求めて

の取材だったのだろう。

作品にはアカエリヒレアシシギという渡り鳥が登場するが、登場人物の一人に医師(庄子氏)が出てく

る。

そのモデルとなったのは長谷旅館から35キロ近く離れた佐井村の三上剛太郎医師(故人:赤十字の起源

を実践して確立)とされる。

三上医師は渡り鳥の生態に詳しかったため、靖は渡り鳥に関する知識を三上医師に尋ねたということであ

る。


登場人物の医師のモデルとなったとされる青森県下北郡佐井村の故三上剛太郎氏の生家を私は訪ねた。



後日談:作品発表後の記者会見が長谷旅館で行われた際に、ある記者から「井上先生、アカエリヒ

レアシシギは本当にあの時期に本当に飛ぶのでしょうか?」と質問が寄せられた。

一瞬周囲は緊張感で包まれたが、靖は笑みを浮かべてこう答えたという。

「これはやはり小説ですからね。」

それは誰の顔もつぶさない靖の優しい人柄が現れた言葉であった。

下風呂温泉の場所:青森県下北郡風間浦村(+印の場所)


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