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二百数十年前の宮城県名取地方の平均的農家の間取り

中沢家は江戸時代初めにこの地方に移り住んできたと伝えられる旧家です。

この建物は重要文化財に指定されていますが、由緒があまり明らかではないところに逆に興味がわきます。
はたしてこの当時、この地方の一般的な農民はどんな家に住んでいたのでしょうか?


裏側の外観です。屋根はもちろん茅葺です。

文化財だけあって外装関係の手入れが行き届いていました。


この当時の農家の外壁はご覧のような土壁だったんですね。

いかにも昔ながらの土壁と言った感じです。いくら裏側と言っても開口部が2か所とは少ないですね~。


庭はきれいに植栽されて整備されていました。

実はこの建物は近くの場所から移動されてきたもののようです。道理で庭がきれいなわけです。


いかにも農家の縁側と言った感じです。大八車も確認できます。



平面図です。土間と他の部屋の仕切りはありません。3本の独立柱が特徴のようです。便所や納谷は別棟でした。

おや?「よめかくし柱」ってなんでしょう?

とにかく中に入ってみましょう。



落ち着いた雰囲気の囲炉裏

バックには当時使われた農具が置いてあるようです。


「でい」とは今で言えば客間で、普段は家長である旦那の部屋として使われていました。

やはり一番奥にあって床の間や仏壇がついています。


クロスして交わる梁は両方ともアールが付いています(驚)

これは接合部を合わせるのが難しかったでしょう。


「なんど」の梁もご覧のように湾曲しています。

居室に現れた曲がった梁はデザイン上の大きなアクセント(遊び心♪)になっています。


この辺で「よめかくし柱」の種明かしをしましょう。

この柱はかなり太くて曲がっています。直径は30センチ以上はあるでしょう。
今では考えられないことですが、男尊女卑のこの時代、嫁は姑や旦那が食事しているときにこの柱の陰に隠れるようにして目立たないようにしていたということです。


よめかくし柱のアップです。

いくらなんでも、この柱に隠れきることはできなかったでしょうに…(笑)
おしんもそうですが、この時代の嫁さんは大変だったようです。

住所:宮城県名取市手倉田字山216-93 東京方面からのアクセスは東北道仙台南IC~仙台東部道路経由名取IC下車10分ちょっとで着きます。

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