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春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして 千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいづこ…

荒城の月の作詞家、土井晩翠(本名:林吉1871年~1952年)は仙台市が生んだ著名な詩人です。(左は夫人です。)

 土井晩翠の住んでいた仙台市の中心地にある晩翠草堂(晩翠草堂)を訪ねて偉大な詩人についてその足跡を偲びたいと思います。


↓仙台駅からまっすぐ西に延びる青葉通は、歌手さとう宗之の歌った青葉城恋歌にも登場する有名な町です。杜の都にふさわしい中央分離帯の欅並木は往来する人の心を和ませてくれます♪ちなみにこの青葉通りを西に行って間もなく交わるのが晩翠にちなんで名づけられた晩翠通りです。



晩翠草堂前に愛車のシェルパでやってきたのはライムグリーンのシェルパを駆る仙台平野探検隊の私です(笑)



↓ご覧のように晩翠草堂はビルの谷間にはさまれていてバス停が目の前にあります。



旧町名の本荒町、良覚院丁と今では聞きなれない町名が刻んであります。外門も木塀も木製で古風ですが、不思議と緑の多い青葉通りにはよくマッチしています。



↓外から見て人目をひいたのはこの石、『天地有情』(晩翠の処女作の名前)と刻んであります。



建物全体をカメラで捉えられないので模型をご覧ください。この建物は仙台空襲の戦火で焼かれた木造3階建の跡地に晩翠の教え子が中心になって昭和24年に建てたものです。

戦災で多くの作品を失って悲嘆にくれていた晩翠はこれをどんなに嬉しく思ったことでしょうか…


↓外門をくぐって中に入って再び青葉通りに目をやると木々の間から木漏れ日が降り注いでいました。暑くもなく、なんとすがすがしい夏の日(8月29日)なんでしょう♪ここが本当に都心なんでしょうか?



玄関の手前にあるのは井戸です。古き良き時代♪を感じさせます。



↓生前、晩年を迎えた晩翠(3年間のみこの建物に居住)は縁側に腰をかけて瞑想にふけったのでしょうか?



『モミの木は残った』という山本周五郎の歴史小説がありましたが、この木は戦災のB29の戦火にあぶられながらよみがえりました…まさに『銀木犀は残った』…晩翠先生の魂がこの木に宿っているのかも知れません。



↓銀木犀以外の庭木は全滅しましたが、この庭石も残りました。当時のままということでした。



晩翠草堂の場所は下の地図の+印のところです。

住所:仙台市青葉区大町1-2-2

詳しい地図で見る

次回の後編は建物の内部を中心にお伝えします。お楽しみに♪

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