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本日は一昨日(8月2日)に訪問した名取市の洞口家住宅を改めて紹介したい。9年前に撮影した写真では表門(長屋門)に足場が掛かっていた。今回は非常に綺麗な写真が撮れたと思っている。屋敷林の影に位置するのが主屋(おもや)である。自分は今回ほど日本の古民家を美しいと感じたことはない。寄棟造りの茅葺屋根の形成する稜線と鋭角的な軒先の角度がこうした印象を抱かせる大きな要因と受け止めている。

屋敷林(イグネとも言われる)の調和が見事で、館との自然な調和を醸し出している。

前回も紹介した洞口家の家紋。右が丸に洞、左が丸に隅立四目である。ここで洞口家の由緒について紹介したい。

昭和58年発行「重要文化財 洞口家住宅保存修理報告書」によると興味深いことが書いてある。それは「古くからの豪族であり大曲館家老の家柄(伊達領になる前は小野兵庫頭と名乗った)であった」とされながら、戦国期に伊達に抗い、「天正13年(1585年)二本松畠山義継に加勢し伊達輝宗(伊達氏16代当主・伊達政宗の父)と合戦の時云々」(洞口家系譜)と書いてあるところである。

奥州仕置が行われる前の名取は留守政影(伊達政宗の叔父で戦国期は政宗の重臣として活躍)の支配下にあり、洞口家が伊達に抗う理由も見出せないし、その後に及んで先祖代々のこの地を安堵された理由(なぜ伊達家に背いたにも関わらず広い領地を得たのか?)が全く読めないのである。それは今後の研究課題として、本著には中世の頃の洞口家が、有力な豪族・斯波氏(後に大崎氏の流れを為す豪族で、洞口家系譜の洞口式部小輔家定と斯波尾張二郎家定は同一人物)と曽我氏(家定の母は曽我成氏女)の流れをくむ家柄であるように書いてある。

同時に家系譜の調査で重要な先祖代々の墓碑が改葬が埋没したり菩提寺の過去帳面が火災で焼失したりして、分家と言われるところの調査が困難としている。洞口家には明治14年の地検証があるが、それによると現仙台市太白区中田地区から名取市上余田、下余田、大曲といった辺りに数十町歩に及ぶ所有地があり、農地調整法施行までは大地主であったとされる。徳川初期の資料が発見されていないが、このへんに戦国期から江戸時代に掛けての洞口家が伊達領のど真ん中に領地を得られたのか?の謎が隠されている気がする。

※明治22年以前の村の地図:洞口氏の所領は館のある大曲村の他に少なくとも中田村(現仙台市太白区)、上余田村、下余田村にもあったとされる。

この日アポなしで訪ねた私は、先ず奥様に名刺を渡して、暫く話し込みその後ご主人(洞口家第19代当主:洞口京一氏)とお会いしてきた。近年に入ってからの系譜は「重要文化財 洞口家住宅保存修理報告書」に書いてないが、今でも血筋は引き継がれている。

洞口家としては昭和46年12月に家族会議を開き、文化財に指定されることで、様々な規制を受けることなどについて話し合った。

※昭和56年の改修工事を受ける前の主屋平面図。洞口京一氏発行・財団法人文化財建造物保存技術協会編集「重要文化財 洞口家住宅保存修理報告書」より引用。
北側の下屋は井戸小屋で外に出て水を汲む不便さを解消する為のものと見られる。また随所に物置や押入れが設けられているようだ。洞口氏が先祖代々生活してきた住居ゆえ、住み易さを求めて多くの改修を受けた形跡と察している。

※以下:名取市観光物産協会のHPより引用
洞口家は近世の環濠大型古民家で、母屋は寄棟造(よせむねづくり)、茅葺(かやぶき)、石場建てといった建築方法である。 建物の内部は座敷(茶の間)と土間の仕切りがなく、四間取り(田ノ字型)となっている。 これは名取地方に古くからみられる特徴的なもので、「名取型」と呼ばれている。そしてこの形式では旧仙台領内最大規模(桁行12間×梁6間+1坪=73坪)である。 また母屋前には、明治21年の建築と言われる寄棟造、茅葺の表門(長屋門)と馬屋があり、国の重要文化財に指定されている。

※昭和56年の改修工事を受けた後の平面図は、建築された宝暦年間:(1751年~1763年)の頃のものをなるべく忠実に再現したものとのことである。三百五、六十年前の豪農の住宅を現代に伝える。これは凄い!正に生きた化石と言ってもいい気がする。

配置図をご覧願いたい。実線は現存する建物であるが、破線は過去に取り壊された建物である。一昨日の奥様の話によると、昭和56年(1981年)改修工事を施される二年前に隠居部屋などが取り壊されたらしい。

東から主屋と蔵を捉えたアングルである。37年前の昭和56年に行われた修理の後に、数度に及んで改修が施されたようである。

主屋の北部に位置する屋敷林である。先祖からの贈り物とも言えるイグネは非常に美しく、今でも大いなる包容力をもって、一家を優しく見守っているようである。

横町挨拶
「重要文化財 洞口家住宅保存修理報告書」の序文に、この報告書が研究資料の一助にさればいいという洞口京一氏の見解が表明されています。これを読むと熱いものさえこみ上げてくる気が致します。自分の住む家が文化財に指定されることは大変名誉なことですが、一方で多くのこと(建物を勝手に改変できない。しょちゅう人が見学に来る…)に縛られることにもなります。家族会議を開いてから十年が過ぎ、ご一家はこの建物が世の役に立つならば…という気になったようです。そして7500万近い公費が投入され、一年半の歳月をかけて財団法人文化財建造物保存技術協会監理のもと、この建物は見事に復活を果たしました。そう考えれば、この建物が残ったのは奇跡とも言えるのかも知れません。

話は変わりますが、9年前の私の記事を見て頂き、間取り図を番組で取り上げたいと言われた株式会社ユニット様の担当者には深く感謝しています。即ち、今回この取り上げがなければ、自分と洞口家はずっと縁がなかったと感じるからです。このことは同時に自分が地道にブログを運営してきて良かったと感じたことでもありました。今後は、今回の記事を更に見直し、自分の考察をもっと入れ、まともな作品にしたいと考えております。読者様には本日も最後までご覧頂きありがとうございました。
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