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家を取るか?弟を取るか?伊達政宗、苦渋の決断

 伊達政宗の母保春院による毒殺未遂事件は有名ですが、母の陰謀のためにわずか13才(異説あり)で犠牲となって政宗に手打ちにされた悲運の貴公子、伊達小次郎の墓のある宮城県津山町横山の右年山を訪ねてみました。国道45号線沿いの道案内ですが、気をつけないと通り過ぎてしまいます。



墓の説明書きには小次郎とともにお守役の小原縫殿之助定綱の墓もあるようです。とにかく行ってみましょう。



これが右年山です。それにしても町はずれのこんな場所に…。やはりこの事件は表沙汰にできないものがあったのでしょうか?



息を切らして階段を上がると小次郎の墓が林の木々のあいだにひっそりと建っていました。



悲劇の貴公子、小次郎の墓です。墓の周りは後年コンクリートで補修されているようです。



墓の側面には「奥州…中納言政宗公弟小次郎之墓」と刻んであります。



お守役の忠臣、小原縫殿之助定綱の墓です。小次郎の遺骸を福島の某寺に埋葬しましたが、豊臣秀吉による国替で母保春院の命を受けこの地に墓を移した後に殉死(切腹?)したということです。小次郎の成長を見守れなくてさぞかし無念だったでしょう。



この事件にまつわる説明です。一説によると政宗の母は病気を患って幼少時に片目になった政宗(幼名梵天丸)よりも容姿が美形だった小次郎に愛情を注いだ(伊達家の家督にしたかった)と言われていますが、本当だったのでしょうか?

それにしても小田原参陣の直前にこんな大事件があって、それを乗り越えて秀吉と面会を果たした政宗の度量の大きさには驚きます。

母を討つわけにはいかないので、家の存続のために実の弟を切った政宗の心境、そして母の犠牲になって実兄政宗に討たれた小次郎の心境はいかに…。諸葛孔明の「泣いて馬謖を切る」と少し似ているのかも知れません。 

(但し小次郎は殺されることなく、政宗のカモフラージュによってその後あきる野市の寺の住職として生き延びた説が近年有力視されています)

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