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 I Don't Want To Talk About It (from One Night Only! Rod Stewart Live at Royal Albert Hall) 
リンク曲について
本ブログでロッド・スチュアートの曲をリンクしたのは初めてと記憶している。同時にデュエットも久しぶりである。どういう風の吹き回しか?と突っ込むかたもお在りと思うが、音楽を好きになるのは人を好きになるのと同じであり理由などない。強いて挙げればリンク動画のデュエットの二人のしみじみとした歌い振りが、自分の魂に共鳴を呼んだからである。

音楽は時として戦いの前に人の士気を高めてくれるが、一方で心を和らげてくれる。セカンドライフに入って世平らかとなった今の自分には、このような曲が似合うと自覚している。3分35秒からは観客も一体となってコーラスを奏でる。そしてそれに応える二人の笑顔がいい。自分のブログにリンクした曲の多くには、その時の自分の潜在的願望が顕著に現れるのを、古いブロ友様各位は既に見抜いて居られるのでないだろうか?
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前置きはこれくらいにしたい。本日は尊敬して止まない伊達政宗公の漢詩を借りて己の心境を語りたい。

伊達政宗『馬上少年過ぐ』
上の句『馬場世平らかにして白髪多し残軀天の赦すところ楽しまざるを是如何』
意味:馬上の少年も幸いなことに無事に世を渡り、最近は白髪も目立ってきた。ここまで生きてきたからには楽しまずしてどうしよう。

下の句『四十年前少壮の時功名 聊 復 自 私に期す 老来識らず干戈の事 只把る春風桃李の卮』
意味:若い頃は天下に志を持ち戦いに明け暮れたが、やがて世は天下泰平になり我が身もすっかり老いてしまった。全ては過去のことである。かつての老雄は桃李のもとで酒を嗜み、穏やかに春風を愛でている。


仏教の教えでは現世で起きたことは全て幻とされる。然らば、自分も50を前にして欝を患ったのも幻であり、仏が自分に与えた試練と解釈するべきなのだろう。自分はかつて欝を患った際、己を軽くあしらった者を深く恨んだことがあったが、それから十数年が経ちそろそろ蟠りを流す時が来たようだ。蟠りを流すなら今がその絶好のタイミングと受け止めている。

今夕はそんな想いに駆られながら、何度も過去の事を反芻に及んだ自分を振り返り、冷たいビールを飲んでいる。過去の苦い経験も修行のうちと受け止めることで救われるのかも知れない。今宵の晩酌は健康を気遣って糖質0のAsahi缶ビール贅沢ZERO(500CC)である。それでもアルコール度数は6%ある。


横町挨拶
本日はいつもより軽く参りました。本日の記事はリンクした音楽が主体とお考え頂いて結構です。自分は歴史関係の記事に相当の労力を継ぎ込んでいますが、連休中日くらいは軽く行きたいと思っています。ところで、あの時こうしていればと思うのが人間の性です。それでを何度も思考を繰り返すと、過去への振り返りは大概これくらいにしようと思います。

これからの自分は生きている間に何が出来るのか?という自問自答との戦いになりそうです。老子の思想に「無用の用」という言葉がございますが、一見無用と思えるものにこそ、人間が必要とする真理があると自分は受け止めております。即ち、自分は欝を患うことで新たな性格を手に入れることが出来た。そして負の無限回廊を断ち切ろうと尽力することで無事に定年退職を果たせた。本日は無事に過ぎ去りつつある三連休中日に感謝しつつお別れしたい所存です。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。


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