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偉業を遂行するも、運命にもてあそばれた悲運の侍


 仙台藩主、伊達政宗の命を受け、総勢約180人で慶長18年(1613年)にヨーロッパに渡った支倉六衛門常長、徳川幕府のキリシタン弾圧の逆風により当初の目的だったスペインとの直接貿易の交渉は実りませんでしたが、7年間に渡る偉業は今でも語り継がれています。今日は常長の3か所の説がある墓のうちの一つ、仙台市の「光明禅寺」(JR北仙台駅より徒歩3分)に行ってみました。
 光明禅寺の入口の立て札です。昔の奥州街道沿いです。今は当時の面影はありません。この近辺は神社や寺の多いところです。

光明禅寺の本堂です。歴史を感じさせる古い寺です。

 支倉常長は仙台に戻ってから隠遁、2年後に52歳で失意のうちに亡くなりました。


 左が支倉常長の墓です。異教徒としてひっそりと葬られたためか、こじんまりとした墓です。右側が使節団を派遣した政宗とスペインとの間を取り持ったスペイン人宣教師ルイスソテロの碑です。ソテロは帰国後異教徒として捕えられて処刑されました。常長とソテロ、それぞれどんな思いで死んでいったのでしょうか?
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