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あまりにも壮絶なマゼランの最後だが、残された乗組員は奮闘した。

 昨日の前編と前後するが、海峡を苦難の末通過した際に難破と逃亡でマゼランは2隻の船を失っていた。残り3隻となった船団はしばらくは平穏な海を航海できたため、マゼランはこの海をマール・パシフィコ(平和な海)と名づけた。(太平洋の名の由来)
 その後、大海原で島を見つけることができずに、貧窮した食糧による飢餓と劣悪な衛生状態で多くの乗組員が死んでいった。後のグアム島に到達したのは太平洋に出てから99日目の1521年3月6日だった。


当時、人間の内臓を食べると重病も治るとの迷信があったため、死にかけた同僚に頼まれた乗組員
はグアムの原住民を殺して食料を奪った。しかし原住民も反撃して奪還、怒って焼き打ちをかけたマゼランはこの島を「泥棒諸島」と名付けた。その後、フィリピンのサマール島、レイテ島を経てセブ島に着いた。ここでマゼランは原住民をキリスト教に改宗させようとしたが、隣の島のマクタン島の領主ラプ・ラプと対立、戦闘の上戦死してしまう。(推定享年42才)


 司令官のいなくなった船団はセブ島を脱出、マゼランが死んでから半月後についに目的地の「香料諸島」(現インドネシア)に到達した。以後2隻の船が損傷したため、残りは最後の1隻ビクトリア号(下の写真はレプリカ)となった。ビクトリア号と残された乗組員は以後も苦難の航海を続け、喜望峰を回り出港から約3年後の1522年9月6日、スペインのサンルーカル港に奇跡の帰還を果たした。このときの乗組員は出港時のわずか1/15の18人になっていた。反乱、難破、飢餓、殺戮、司令官マゼランの戦死…地獄のような惨状だったが、この航海はまぎれもなく人類が初の世界一周を果たした大航海だった。マゼランの死は18人の乗組員の帰還によって報われた。


苦難のすえに命と引き換えに人類初の世界一周を達成!

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