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去る4月14日に私が訪れたのは広瀬川左岸(北側)の青葉区郷六地区の「葛岡城」(くずおかじょう)である。紫桃正隆氏著「仙台領内古城・館 第三巻」を良く読んで下調べをしていった為、葛岡城の標柱のある場所を見つけるのにさほど時間は掛からなかった。今は亡き郷土史家・紫桃正隆氏(1921~2008)の解説によると、右側の民家は館のあった一部としている。現在は全てが私有地という感じである。紫桃氏によると民家の一帯の東西、南北80メートルほどの場所が城郭内にあたるという。

私は史跡を巡るのにバイクを使うことが多い。バイクは何と言っても小回りが利いて狭い道でも入ってゆける。それと本日はヘルメットを敢てジェット式(フルフェイス式と違った顔面を露出するタイプ)とした。理由は少しでも付近の住民とコミュニケーション(私は史跡探訪の際、古老などからの聞き込みを重視している)を取る為である。顔面を覆うフルフェイス式では、時に怪しまれることもあるからだ。史跡探訪はそこまで気を回すことが大切である。
1立札遠景

Google3D立体画像で本日巡った史跡三箇所の位置関係を確認して頂きたい。葛岡城と郷六城は中世豪族の国文氏(その後伊達氏に帰属)が、その家臣を住まわせた要害とされる。2三箇所Google3D立体画像 - コピー

葛岡城跡と書かれた標柱は民家の南側の土塁跡に立てられている。3立札から南を望む 
土塁の脇には堀切があるが、比較的いい状態で保存されている。笹薮の合間に僅かに見える川は広瀬川である。4堀切と土塁 
これは紫桃正隆氏が描いた葛岡城の見取り図である。紫桃氏がこの地を訪れたのは昭和40年代と思われるが、改めて彼の尽力に頭の下がる思いがする。氏がこの地を訪れてから既に半世紀近くが経った。そう考えると胸のうちに熱いものが込み上げてきた。後学として紫桃氏の誠意に少しでも答えたい。私は自分自身にそう言い聞かせた。
葛岡城見取り図 - コピー 

紫桃氏の資料を基に、3D立体画像に葛岡城の大まかな全容を落としてみた、紫桃氏によると南側(手前)にもう一筋の土塁と水濠(堀切)が存在したはずであるという。
5葛岡城Google3D立体画像 
広瀬川の断崖には往古のものと見られる降り口が見られるという。平城にしては結構防御力が高かったのかも知れない。6広瀬川と切り株 
紫桃氏によると、「古書書上」に城主は馬場筑前入道清説(一書に清設)であり、国分能登守盛氏の家臣であったとされる。(標柱のある場所から旧国道48号線側を望む)7立札から南を望む 
葛岡城側から旧国道48号線を望んでみた。付近は新しい建物も目立ち、紫桃氏が訪れた頃のローカルな趣とは全く異なったものになっている。8旧国道遠景 
横町挨拶
この後で対岸にある郷六御殿跡と郷六城にも行きました。今回はボリュームの関係で見送り、次回以降の更新で紹介したいと考えています。この葛岡城は位置的に葛岡霊園(複数の寺の墓地が共同で存在)の南に当たるところで、旧国道48号線から西に120メートルほど入った地点にあります。

歴史的なことについてはかろうじて城主の名前がわかる程度で、詳しい内容は明らかにされていません。でも多くの城郭や館の跡はこのようなものが多く、謎に包まれたものが多いと言えます。

自分はかえってここに限りないロマンを感じます。城主の馬場筑前入道清説については何かの折に調べてみたい所存です。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。9五百六十横町挨拶  
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