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本日は去る4月14日(日)に訪れた仙台市西部の郷六城を紹介したい。位置は仙台西道路西側トンネル出口から北西部に当たる地区である。目と鼻の先にある郷六御殿跡(広瀬川右岸)からはバイクで数十秒である。東側より郷六城跡を望んでみた。郷土史家の紫桃正隆氏の訪れた約50年前とは異なり、現在の周辺はすっかり住宅地と化している。

1東縁り郷六城遠望

郷土史家・紫桃正隆氏著「仙台領内古城・館 第三巻」579ページより引用したモノクロ写真をご覧頂きたい。(紫桃正隆氏本人が撮影した写真と思われる)正面の林の左側が主郭のあったとされる場所である。今はすっかり住宅地となった周囲だが、紫桃氏が訪れた当時は畑地に囲まれた場所だった。尚、仙台市に編入される前の住所は宮城群宮城町であった。私が撮影した位置とさほど変わらないアングルと察している。
 2昭和40年代の郷六城跡 
紫桃氏が描いたスケッチで郷六城跡の概要をご覧願いたい。紫桃氏は東西80メートル、南北100メートルとしているが、資料によって異なるようである。数字は飽くまで参考としてお考え願いたい。

  3郷六城紫桃氏見取り図

Google航空写真で郷六城跡をご覧願いたい。すぐ傍に東北自動車道仙台宮城ICが造られたことがこの史跡のその後に大きな影響を与えたのは間違いない。

4航空 
つい最近、すぐ傍(以前は畑地)には立派な老人ホームが建設されたばかりである。周囲の印象は大幅に異なるものとなったが、これも時流というべきであろう。

5郷六城立札

主郭への入口には複数の祠が立っているが、最も古い古碑は建武年代(1334年頃)とされる。南北朝時代にここに豪族が関わった証である。紫桃氏によると「古城書上」に城主は郷六大膳盛元入道同興という名が出てくると言う。その孫である森田孫右衛門がこの地に居住したとされる。また「宮城郡史」には、国分前司能登家臣・郷六大膳の居館なり。今の森田氏の遠祖なり。世々郷六に居る、因って氏とす。郷六孫九郎元直の代、天正年中国文氏滅び、伊達政宗に仕う。文禄4年(1595年)戦功により氏名を改め、森田杏右衛門と称す…とある。改名した理由は過去に伊達に抗った国分では支障があったということなのだろう。
 6主郭入口

主郭があったとされる場所は畑地となっていた。敵対と服従は地方豪族に見られるごく普遍的傾向だが、国分氏もその例外でないようだ。長いものには巻かれろという言葉があるが、国分氏もその言葉の真意を悟り、新興勢力である伊達氏とどう付き合うかを日々考えたのだろう。
 
7主郭

今は道路となっている部分は城郭の北側にあたり、過去に濠があった場所とされる。
 8濠跡は道路 
横町挨拶
山岡宗八原作「独眼流政宗」には伊達政宗の叔父である国分盛重が登場しますが、伊達を出奔し慶長元年の1596年に秋田の佐竹氏を頼って家臣となる様が描かれ、盛重は政宗の伯父(叔父)の中では最も頼りにならない存在(それどころか敵対した大名に寝返った)と位置された人物でした。

それでも彼はどんな手段を用いても生き延びたかった。この城跡を見ると名字を変えてでも生き延びたいという国分氏の執念を感じます。自分は歴史とはけして綺麗ごとでなく、そんなものだと思っています。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

9五百六十横町挨拶
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[タグ] 郷六城

コメント

こんばんは~

>どんな手段を用いても生き延びたかった。

人は誰しもそうだと思います。
自分や家族が生き延びるためには、手段は選ばないと思います。
戦国の世ならば特に・・・
関が原で、裏切り者と言われた小早川もまたしかり・・・
生き延びるためには、仕方ないことですね。。。
家族や家臣にとってはヒーローですよ。拍手v-424

URL | シーさん ID:-

時代の流れですね

立派な老人ホームも出来て

静かに過ごすにはとても良い環境ですね

URL | ともたん ID:-

シーさん、ありがとうございます。

武士道には二君に仕えずという大義がございますが、歴史を振り返ると生き延びる為に寝返るのはけして珍しいことでございません。
これは自分のルーツにも当てはまるものと捉えています。拍手を頂戴し感謝申し上げます。
本日もお励ましを頂戴しました。コメントを頂き、ありがとうございます。今回もいい週末をお迎えください。

ともたんさん、ありがとうございます。

モノクロ写真をご覧頂ければわかりますが、五十年近く前に紫桃氏が訪れた時は農村に近いイメージだったと推察しております。現在は住宅他立ち並び、東北道宮城IC設置や仙台西道路開通により、この地域は都心と結ばれ、城があった往時を偲ぶのは年々困難になって参ります。自分が少しでも後学との繋ぎ役になれればと考え記事を掲載しました。

おはからいにより、今回もお励ましを頂戴しました。コメントを頂き、ありがとうございます。


No title

おはようございます。
城跡の散策というのは、おもしろそうです。
城が残っていなくても趣が有ります。
いつも思うのは、過って城が有った処ても、時が経て地形が変わり、その存在に気づかないものが、多数有るのではないかということです。

URL | motoyoshi ID:-

motoyoshiさん、ありがとうございます。

旧河北町に住んでいた紫桃正隆氏の遺作は今でも多くの郷土史家の教本となっており、氏が廻った史跡の数は千四百近くになるとされます。氏の偉大な足跡には比べるべくもございませんが、アナログ時代とデジタル時代を繋ぐ一つの鎖となるのが自分の務めと解釈しています。

紫桃氏は葛西氏研究の大家としても知られ、県北地域も相当廻られていますので、貴兄の住まわれる地域との接点もあるものと推察しております。おはからいにより、本日も厚誼を頂戴しました。コメントを頂き、ありがとうございます。

No title

お早うございます、

時と共にかっての場所も変化しましたね、
静かな佇まいですが昔の面影も感じられます、

今日も良い天気です、良い週末をお過ごし下さい、

拍手👏

URL | 雲MARU ID:-

雲MARUさん、ありがとうございます。

拍手ありがとうございます。郷六城跡訪問はそろそろ一箇月近くなりますね。二度目の掲載にも関わらずコメントを頂き感謝申し上げます。
雲MARUさんも良い週末をお過ごしください。本日もお励ましを頂戴しました。ありがとうございます。

郷六城

おはようございます。
郷六城跡はその周りを見ても今は穏やかな風景に変わっているのですね。
ここで昔あった歴史を色々な資料や足で調べられることは有意義な時間だったと思います。
戦国の世で生き延びたいという気持ちがあれば
裏切りなどは多い事だったのでしょうね。守るべきものがある者には仕方ない事と思います。

URL | Joey rock ID:-

joeyrockさん、ありがとうございます。

二度目の郷六城跡訪問の記事へのコメントに感謝申し上げます。歴史関係の記事はモチベーションが不可欠ですが、FC2ブログで遅れていた部分をリカバーでき胸を撫で下ろしております。

これを励みとしてこれからも地道に精進して参ります。おはからいにより、本日もお励ましを頂戴しました。コメントを頂き、ありがとうございます。joeyさん、今週も良い週末をお迎えください。

No title

横町様

先だっては当方ブログへのアドバイスありがとうございました。
拍手ページで入力したコメントはこちらには関係ないようなので、
改めて・・・・

未だ移転先は考慮中ですが、横町様のブログ運営情報は大変参考にさせていただいております。
ありがとうございます。



URL | 常陸国中世史備忘録 ID:-

常陸国中世史備忘録さん、ありがとうございます。

こちらこそ、いつもお励ましを頂戴し感謝申し上げます。FC2ブログは独自ドメイン(最初の一年間は無料)を取得でき、アフィリエイトにも向いている気が致します。

自分も拙ブログにゆくゆくはそのような機能を持たせたいと考えています。おはからいにより、今回も有意義なご意見を聞かせて頂きました。コメントを頂き、ありがとうございます。

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