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 本日、仙台青葉まつりが開幕した。私が中央通(クリスロード)を訪ねたのは11時過ぎであった。どんな祭もそうだが、雀踊りは特に笑顔が求められる。見物人の視線を一手に集めるコツがこの笑顔である。(クリスロード洋服の青山前で撮影)
1笑顔

普段は全天候型のアーケードを備えるクリスロードだが、特別な日にはこのように開放し、青空を望める趣向が施されている。政宗公の命日(5月24日)が近づいたが、本日の五月晴れは正に祭りに花を添えるシチュエーションである。

2アーケード開放

仙台三越の雀踊りは一際華やかである。社員がこの一大イベントを支えているわけだが、全員が一致して笑顔を絶やさないのには感心した。

3三越

どちらかと言えば女性の多い雀踊りだが、男性は男性なりに存在感を放っている。男性がいれば粋な印象を与える効果が大きい気がする。

4男三越

雀踊りの起源について触れたい。仙台の雀踊りは、慶長8年(1603)、仙台城移徒式(新築移転の儀式)の宴席で、泉州・堺(現在の大阪府堺市)から釆ていた石工たちが、即興で披露した踊りが起源と言われている。

西国らしい小気味よいテンボ、躍動感あふれる身振り、伊達家の家紋が「竹に雀」であったこと、はね踊る姿が餌をついばむ雀の姿に似ていたことから「すずめ踊り」と名付けられた。戦前までは石切町(現在の八幡町)の石工たちによって踊り継がれ、毎年、大崎八幡神社の祭礼には「すずめ踊り」を奉納するのが通例となってい。 

しかし、戦後は「すずめ踊り」も次第に継承者を失い、同町石切神社にてわずかに残った石工にひっそりと受け継がれるだけとなっていた。仙台・青葉まっりでは、途絶えかけた伝続を守るため、伝承者黒田虎雄氏の指導を仰ぎ「すずめ踊り」を復元。

昭和62年(1987年)より『仙台すずめ踊り』としてコンテストや講習会を開き、すずめ踊りの伝承・普及に力を注いできた。現代の『仙台すずめ踊り』は、「すずめ踊り」の原型をとどめつつも、老若男女どなたにでも楽しめるよう工夫されており、仙台の風物詩として定着してきた。

5姐御

幼稚園児の雀踊りは愛らしく微笑ましい。自分などはこれを見ただけで、戦争等に我が国が巻き込まれて欲しくないと切に願うのである。これはロシアの領土問題で失言をした青二才の某政治家に聞かせたい文言でもある。園児らには、本日の感動を忘れず郷里・仙台に誇りを持てるような人物に育って欲しいものである。

6幼稚園児

人は祭からモチベーションを得ることが出来る。これに気づいた時、私が患った躁鬱病の再発(完治が難しいとされる)は過去のものとなった。躁鬱病を克服するコツは自分なりの思想を身につけることである。(自分にとっての思想は武士道である)

7雀ポーズ黄色

15時からは定禅寺通でも雀踊りが行われた。踊り手と見物人が一体となった雀踊り、その多くが仙台藩祖である伊達政宗公への感謝の念を抱いているのではないだろうか?

8定禅寺

横町挨拶
仙台青葉まつり開幕、これは仙台にとって特別な日でもあります。仙台の魅力は何と言っても「杜の都」という代名詞に代表される、「都市と緑の調和」ですが、太平洋側気候のもたらす過ごし易さも大きな魅力(夏は涼しく、冬も東北にしては温暖)です。本日はその双方の恩恵に授かった気が致します。

郷土を愛すれば愛するほど、この祭に深くのめり込みます。それはセカンドライフに入って、肩の荷が降り、徐々に余裕が出てきたからなのかも知れません。今夕はもちろん、この祭の開催と名君・政宗公に感謝して祝杯を挙げておりますが、飲み過ぎないようにしなければなりません(笑)

本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

9六百四十横町
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