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横町利郎を名乗ってそろそろ一年になる。横町利郎の前のペンネームはミック○○(丸の中は本名)である。歴史ものを主としている以上、カタカナの入ったペンネームはどんなものか?と悟ったのが理由だが、横町利郎というペンネームの構想は三四年前から既に持っており、数人のブロ友様に胸のうちを明かした記憶がある。

横町(宮城県石巻市)は私が生を受けた町の名(今は千石町)で尊敬する祖父母を語る上で欠かせない地名である。利郎は祖父がこの世に生を受けた私につけようとした名前である。親父の反対にあって今の本名となったが、還暦を過ぎた残りの人生で、それまで果せなかった祖父母に恩返しをする意向で、敢てこの名をペンネームと決めた次第である。

※横町の生家にて。在り日の祖父と私。シャッターを押したのは親父と思われる。

1祖父と私450

横町利郎というペンネームは郵便局にも届けたので、今は本名でもペンネームでも郵便物が届くようになっている。既に仕事を頂いている企業や郷土研究会の先賢から「横町さん」と呼ばれるようになったのは願ってもないことである。自分がこのペンネームから得たモチベーションは計り知れない。これからは祖父に対して、恥ずかしくない作品を残すことが自分の使命と考えている。

ところで、横町という名字は全国で1000名弱で珍しい名字と言っていいようだ。我がルーツがこの石巻の横町に居ついた経緯はわからない。だが想像できるのは伊達政宗公によって、ほぼ人工的に造られた石巻という湊町で、我がルーツは必死になって家(結局曾祖母Mには子供がなく、結果的に血筋は途絶えた)が途絶えることと戦ったのだろう。家を残すだけではなく、その中で何とかして一旗でも挙げたいという強い願望もあったのだろう。今、改めて自分が作成した家系図を眺めると、自分の曾祖母M(血は繋がっていない)が祖父清治郎を養子に迎え、祖母志ほを嫁に娶った背後にそのような意図がありありと浮かんでくるのである。

※昭和五十年前後の生家横町周辺

2生家横町450

横町の家系図からは女系家族、血筋(大街道一帯に散らばる祖父方の親族)からは、陪臣(下級士族)から生き残る為に帰農したというのが私の出した結論である。祖父のルーツについて知りたいかたは歴史小説「我がルーツと大河北上」をお読みになって頂きたい。

先日仙台市図書館(メディアテーク仙台)でこのような写真を手に入れた。私の生家の周辺が写ったモノクロ写真である。この家に関しての自分の思い出を語る際、涙なくして語れないものがある。早世した親父のこともあり、我が祖父母は往時の自分を不憫に感じていたことだろう。

自分はそんな祖父母に返し切れないほどの恩愛を受けた。但し、あまりにも未熟ゆえ、その有難みがずっと実感できなかったのである。坊ちゃん育ちだった私を待っていたのは、社会の手荒い洗礼だった。世間を見渡せば甘やかされた人間には必ずと言っていいほど’ツケ’が廻ってくる。自分もその例外にはなり得なかった。もしここで「自分にとっての後半生が一体何か?」と訪ねられたなら、迷うことなく「坊ちゃんと決別するべく、生き残りを懸けた生存競争です」と答えるであろう。

但しここで事情を話せば長くなる。私を待っていた苦難の仔細を知りたいかたは拙著作「我が後半生と武士道」、或いは「躁と鬱」などをお読み頂きたい。

自分は横町家の跡継ぎ息子として育てられましたが、その後に大きな波乱がございました。人生に波乱はつきものですが、自分の人生は波乱を絵に描いたような人生でした。但し真実を書くには条件がございます。即ち、関係する人物が世を去り、差し支えがないと判断した時点で、これまでベールを被っていた真実がようやく明かされるということです。自分には書きたいことがまだまだ山ほどあるのです。

セカンドライフに入り、その時も着々と近づいてきたようです。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

3四百五十横町

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