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本日は仙台市青葉区図書館(メディアテーク)で許可をとって石巻の明治から昭和にかけての写真を撮影してきた。許可を申請したのは先週の土曜日(5月18日)で、翌日の19日に撮影許可の決済が下りた。申込書には撮影の理由を記入する欄があるが『郷土史研究の為」等と書けばOKである。ちなみにこのようなケースは今までになく、自分が始めてとのことであった。

1グラビア石巻

発行は昭和56年で1000部の限定出版である。¥8,500とは結構いい値段である。

2撮影と編集

撮影と編集を行った亀山幸一氏である。存命なら90歳を越しているはずである。

3作者・亀山幸一

これは昭和三十年代の中瀬(中洲の島)、仲町方面である。(湊方向から撮影)高度から言って航空写真と思われる。私が小学生だった頃の石巻である。石巻在住のブロ友様も居られるゆえ、是非見て頂きたい写真である。

5昭和三十年代中瀬中町

撮影は昭和二十年とのことで、終戦の年に撮影した長浜海岸である。小学時代、何度か海水浴に訪れた場所だが、それよりも更に十数年遡った頃である。このころは水田(その後は埋め立てられ、学校や住宅が建っていた)が広がっていたようだ。

2011年には津波で大きな被害を受けた地域でもある。尚、現在は石巻漁港が居座り、往時の面影は殆ど残っていない。自分は数年前、ブログに長浜海岸に関する自叙伝を書いている。

6昭和二十年撮影長浜

これは昭和三十年代の長浜海岸である。自分が少年時代に海水浴に訪れた頃のものと思われる。

7三十年代長浜

ここは北上川が大きく蛇行する地点で袋谷地(現水明町)地区である。藩政時代は足軽が配置され、番所の置かれた場所である。今は住宅が所狭しと建ち並んでいる。

8昭和四十年袋谷地

昭和三十年代の北上川河口である。船がびっしりと繋留され、港湾都市としての賑わいを実感するシーンである。今の閑散とした風景からは想像すら出来ない気がする。

9おびただしい数の船の繋留

明治末期の本町、仲町側河岸(東内海橋からの撮影)である。石川啄木が修学旅行で訪れたのが明治41年である。岩手の内陸育ちの啄木が見た石巻はインパクトが大きかったものと察している。

10明治末期本町・仲町河岸

ほぼ同じアングル(東内海橋からの撮影)の昭和二十年代の風情。私は幼少期に親父に連れられ、この辺を訪ねた記憶がある。親父はある企業のようなところを訪れ、バタピーをつまみにビールを飲んでいた記憶がある。この時自分は始めてバタピーの味を知った。これは親父に関して数少ない、断片的な思い出の一つである。

11昭和二十年代仲町河岸

横町利郎挨拶
自分の出生地である石巻の明治~昭和にかけての写真がこのようなグラビアで残っていたのは幸いでした。郷土史家のみならず、石巻に縁のあるかたに是非ご覧頂きたい所存です。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

9五百六十横町挨拶

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