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つい先日、菊池寛の「仇討三態」を読んだ。歴史小説というより時代小説の要素の強い作品だが、史実が全く含まれてないこともない。三態のうちの一話に、宮城県の石巻(往時は牡鹿郡渡波)で起きた新発田藩士・久米幸太郎による実話も登場する。本日は「仇討三態」の粗筋を記すとともに、自分にとっての「仇討ち」とが一体何なのかについて考えてみたい。

その一
主人公は二十二歳から父の敵討ちを果たす為、六十余州を訪ね歩く。国を出てから十六年後に疲れ果てた彼は遂に仇討ちを諦め、頭を丸めて得度(仏門に入ること)し、なにわに近い曹洞宗の寺・永平寺に入り、法名は唯念と言った。或る日唯念は薪作務をしているとき、偶然にも父の敵に遭遇した。但しその男も仏門に入り、既に老僧となっていた。戒律を破ってでも老僧を討ち、積年の恨みを果たすべきか…唯念はすんでのところで、仇討ちを思いとどまった。彼は自分の身の上が僧であるのを悔やんだ。

それでも父の敵を見て見ぬ振りは出来ず、思い切って自分の身の上(自分の父を討ったのが老僧であることを認識していること)だけは話すことにした。唯念が過去の話をすると、老僧は「ここで御身にめぐり合うのは天運の定まるところ、存分にお討ちなされ」と言った。これに対して唯念は「討つ、討たぬは在俗のこと、今は互いに出家した身ならば貴僧を討つ気など毛頭ござらぬ」と語った。

その夜半、眠りについた唯念の枕元に老僧が立っていた。老僧の右手には剃刀が光っていた。その時、うとうとしていた唯念は、それを防ごうという気にもなれなかった。唯念の心にあるのは只々老僧を憐れむ気持ちだけであった。老僧が永平寺を蓄電したのは翌日のことであった。

その二
越後国蒲原郡新発田藩家臣・鈴木忠次郎、忠三郎の兄弟は八年に渡って父の仇討ちの為に、方々を旅していた。二度目に上方に上った際、遂に弟の忠三郎が一人で父の敵を発見した。但し、ここで敵を討てば兄の面目が潰れる。忠三郎は仇討ちを思いとどまり、兄を探すことにした。生憎兄は敵探しで別の場所に出たばかりであった。兄を探し、再び敵の所に出向く際、兄弟は敵が病で亡くなったことを知る。惨めになった兄は自害さえ企てたが、弟がこれを制した。兄弟は何事においても、同じ藩で既に石巻で仇討ちを成し遂げた久米幸太郎兄弟(叔父も含む)と比べられた。(この話は実話である)久米幸太郎はそんな忠次郎と酒を交わし、忠次郎の心情に同情を寄せるのであった。

その三
侍でもない従僕の男が無礼講の酒の場で大風呂敷を広げた。過去に自分の主の行った無礼討ち(酒の席で受けた不名誉を晴らすために相手を斬った)を、あたかも自分がやったように皆の前で吹聴したのである。だが偶然その場には、無礼討ちで討たれた者の子女(とよ女)が居合わせていたのである。泥酔した男が尚も調子に乗って嘘で固められた武勇伝を述べていたところ、匕首を持ったとよ女が「父の敵」と告げ、男の脇腹をえぐった。状況から言って斬られた男は冤罪にはならず、とよ女の仇討ちの成就となった。とよ女の孝節はやがて藩主の耳にも届き、とよ女は婿養子を迎えお家存続を認められた。

横町読後感想
出来ることなら仇を討ちたい。そう考えるのは古今東西けして珍しいことではございません。これが異民族間の確執や軋轢に繋がってきたのは歴史を振り返れば明らかなことです。我が国において「仇討ち」が公然と認められたのは藩政時代のことでした。但しこれにはルールがあり
①仇を討とうとする者の身分が士族であること
②お上に敵討許可書を取ること
③仇を討つのは自分よりも目上の親族(父母や兄姉)が殺された時に限って許される
④妻が不倫をした場合は不倫相手と妻を討ってよい
離縁から一箇月以内に夫が再婚した場合は前妻が後妻に仇討ちすることが認められていたetc
が定められていました。一説によると仇討ちの成功率は一パーセントほどと言われています。そうであれば残りの九十九パーセントは返り討ち、敵の死亡、或いは敵を探し出せなかった等の事情で不成功に終わったのでしょう。「目には目を」という考えが認められた「仇討ちの特例」は藩政時代の終焉とともに幕を閉じました。明治維新を迎え、西欧の影響を受けた立憲政治が仇討ちを過去のものとしました。(仇討ち禁止令の発令は明治6年2月7日のことでした)

菊池寛の「仇討三態」は仇討ちの実態(なかなか成功するものでない)を如実に語った作品と捉えています。彼の描いた仇討ちの作品の中に「恩讐の彼方に」というものがあり、現在ではこちらのほうが有名な著作となっています。法律で禁止され仇討ちが死語になりつつある現代ですが、私は人の命のやり取り以外のことでこれに近い情感を抱いたことがございました。ニーチェの言葉を引用するならばルサンチマンとなります。但しルサンチマンだけでは何も生まれません。私は正当な方法で相手を見返すことこそ「現代における仇討ち」と解釈しています。「一念岩をも通す」という言葉がございます。若し相手に見くびられ、疎んじられたなら、それを己のバネとして別なもので功を為し、逆に相手を見返せばいい。

実は現役時代の一番大事な時期(住宅ローンに終われ、これから五十代に差し掛かろうとした時)に欝を発症した自分が、これと同じ状況に立たされた経緯がありました。病状が鬱から躁に転じた時、これはたったの数箇月でしたが、自分の中にルサンチマンという激情が湧き上がってきたのです。今振り返れば、これは自分の一生の中で最も貴重な数箇月でした。ルサンチマンを抱いた時は周囲が見えなかったのですが、これが日を追う毎に「力の復讐から正当な復讐」へと方向性が変わっていったのです。

「正当な復讐」はそれから十数年間に渡り様々な紆余曲折を経て、遂に今のセカンドライフで成し遂げられたものと解釈しています。有体に言えば、自分を必要としてくれる企業に入り、自分の価値観(新天地)を見出した瞬間、長年に渡って抱いていた自分にとっての「仇討ち」は成し遂げられたと考えます。今の自分はもう以前のように吠える必要がなくなりました。然らば自分の歩んできた茨の道も、ここに来てようやく救われたという気が致します。これからは自分が同じ悩みを持つ方のお役に立つべく、助言を求められた暁には、己のノウハウとして伝授して行きたい所存です。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。



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