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我が故郷石巻は港町である。港町には花街がつきもので石巻もその例外でなかった。今回紹介する文学作品と建物(残念ながら今は存在しない)は、その縁を偲ぶものである。作品を書いた作家は徳田秋声、数ある職業の中で小説家ほど、その歩んできた人生遍歴を重視されるものはないだろう。71歳にしてこの作品を著した彼にはそんな大衆の欲求を十分に満たすものがあった。それは彼が男やもめになった55歳ころから始まったKさんという女性(書生、芸者)との交際の記録である。多少の脚色はあるものの「事実は小説よりも奇なり」を地で行く作品である。本題に入る前に彼のプロフィールについて触れたい。

金沢の三文豪のひとり、士族の家系に生まれるも不遇の半生を過ごす。尾崎紅葉の門下を経て、田山花袋、島崎藤村らとともに明治期の自然主義文学運動の中心的存在として活動し、明治・大正・昭和と三代にわたり常に文壇の第一線で活躍した。その作品は、川端康成をして「小説の名人」と言わしめた技巧の高さとともに庶民の生活に密着した作風を特徴とする。「新世帯(あらじょたい)」「黴(かび)」「爛(ただれ)」「あらくれ」「仮装人物」「縮図」など。私生活では多くの文壇人に愛され、映画やダンスを好んだ。

1秋声生前の写真

縮図」映画化されている。舞台は大正時代後半とモデルとなったKさんの時代(昭和十年代)より遡るものの、まだまだ人身売買(生き残りの為、子女の身柄を売る)という身売りが行われていた時代であった。男尊女卑は今でさえ死語となった言葉だが、当時は当たり前の社会的風習であった。

2最大の冒涜

今は亡き音羽信子の熱演が印象に残った作品であった。一見華やかに見える芸者家業の裏側にはドス黒い欲望がトグロを巻いている。これを見事に描いた徳田秋声の筆力には、哲学的な思考さえ重ねる気がする。汚れに汚れても銀子(ヒロイン)は生き抜く。

3音羽信子

ヒロイン銀子のモデルとなったKさん(徳田秋声の愛人)が、石巻時代に交際していた豪農と逢引していたのがこの建物「千登里」である。残念ながら今は解体されて残っていなし。(「ふるさとの想い出 写真集 石巻」より引用)

4千歳待合原図

これはKさんとは関係ないが、大正13年に撮影された春潮楼での芸妓の舞踏である。関係者は明治後期に斜陽傾向にあった石巻に再び活気を取り戻そうと尽力したのだろう。

5石巻礎永原図

横町利郎挨拶
全国に点在する港町には例外なく花街が存在しました。藩政時代も藩主は港町での特例(風紀が乱れるという理由での規制緩和)を認めていたようです。今回掲載した写真はそれを改めて、顧みる資料と受け止めております。先ずはアナログとして存在するデータをデジタル化する。自分はその必要性に強く駆られ、本記事をアップする決断に至りました。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

6六百六十横町

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