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Freddie Mercury - Too Much Love Will Kill You
リンク曲について本日は8年前に亡くなった上司Aさんの話をしたい。但しこの話は断片的に2013年に随筆でお伝えしたことがあった。同じ話となっても何なので、その時とはなるべく別な話を交えながら、在りし日のAさんを改めて偲びたい。Aさんが亡くなったのは2011年の春、震災直後のことだった。

今の自分はまだまだ未だが、若年の頃の自分はもっと未熟だった。Aさんとは30代からの付き合いだったが、未熟な自分をけして否定することなく、鷹揚な気持ちをもって受け止めてくださったのがAさんであった。人生の大恩人Aさんのことは、このQueenのToo Much Love Will Kill Youの哀愁を帯びた旋律を聴くたびに今でも鮮やかに蘇るのである。

Aさんとの思い出で一番印象に残っているのはゴルフである。鬱を患い魂が抜けたような自分をゴルフに誘ってもらったのは、他でもない。Aさんである。それまではまったくゴルフには興味のなかったのだが、仙台転勤をきっかけにあまり気の進まぬままにうちに付き合い半分の気持ちで始めることにした。人に勧められた趣味をやるのは本意でなかったのだが、この時は精神的に追い込まれていただけにやらないと会社には居られないような気になったのである。
 
「横町君、ゴルフをやるなら基本が大切だ。今度教えてやるから一緒に練習場に行こう。」その年の秋の初め、初めてのラウンドを前にして、ゴルフセットを買ったばかりの休日、仙台市内のあるゴルフ練習場でAさんから基本的なゴルフの手ほどきを受けた。

Aさんは普段はどちらかと言えば寡黙であり、特に目立った上司ではなかったが剣道で言えば中段の構え、けして大上段に構えて人を威圧するタイプではなく中庸を己の本分とし、人との協調、調和を大切にするバランス感覚にすぐれた人であった。またその一面、人にけして弱みを見せない強靭な精神力を兼ね備えた人でもあった。尊敬するAさんからのお誘いを私はこの時、ことのほか喜んだ。
 
クラブの握り方、構え、アドレスの仕方…私は基本的な説明をAさんから受けた後、ボールを打ってみることにした。最初の一球は無心だった。いや無心と言うより考える余裕さえなかったという表現が正しいのかも知れない。7番アイアンで打ったボールは距離こそ飛ばないもののほぼ練習場の真ん中に丸い弾道を描いてポトリと落ちた。
 1ゴルフ練習場

人づきあいが上手く人望があるAさんは人を褒めるのもまた上手だった。「最初から曲がらないなんて横町君はなかなか筋がいいね。」私はそう言われて有頂天になった。ようし今度はもっと飛ばしてやる。そう思って二球目を打ったとたんボールは大きく右に曲がった。何球打っても二度と真っ直ぐに飛ぶことはなかった。数十球打った後で空振りした時、私は周囲の目を意識して年甲斐もなく赤面してしまった。
 
「早く上手くなってAさんのような力強い球を打ちたい…」その日から私は毎日、ゴルフ練習場へ通った。プロレッスンも受けた。そして距離を出すために腹筋や背筋も鍛え肉体改造にも励んだ。また下半身を安定させるため、早朝のジョギング(最初はウォーキング)も同時に始めた。五十を過ぎて始めたゴルフに熱中し、一年以内のスコア100切りを宣言し、張りきる私を横目にゴルフ歴三十数年のAさんはきっと笑うしかなかったことだろう。
 
こんなことを繰り返す日々が続いたある日、私の心の中の分水嶺が突如逆方向にに切り替わった。病相が鬱から躁に変わったのである。今思い起こせば、この変化は無意識のことであり、私が主観的に気づくよりも周囲が気づくほうが早かったのではないかと思う。多くの人に心配をかけたと思ったのはこの病状が落ち着いて寛解(医学用語で躁鬱病の症状が落ち着くこと)に至ってからのことであった。Aさんはそんな不安定な精神だった私をよく理解してくれ、温かく長い目で見守ってくれた。
 
もしAさんが居なかったら今の私はなかっただろう。Aさんとは生涯で3回だけラウンドさせて頂いた。そしてこれからもゴルフを通じて人生への教訓をもっともっと教わりたいと思っていた矢先、サラリーマン人生のゴールも間近い定年退職のわずか半年前にしてガンに侵され、9カ月後(2011年4月)に帰らぬ人になってしまった。2010年8月に職場を去る前のAさんに電話をしたあの時の会話は今でもけして忘れはしない。
 
動揺し、かける言葉を失い「大丈夫ですか?」と聞くのがやっとだった私に対してAさんはやがて来るであろう死を覚悟しながらも気丈にもこう答えた。「なるようになるさ。」…私はその力強い言葉に武士のような不動の心と自分へのメッセージを感じた。『強く生きるんだ横町君』私にはそんなAさんの声が微かに聞こえたような気がした。その半年後にAさんが亡くなってから、毎年春になるとこの曲を聞く。そして歌詞のクライマックスである「最後に最後に…」というところを聞く度に在りし日のAさんのこの言葉を思い出し、泣けてくるのである。

横町利郎挨拶
自分はAさんの勧めでゴルフを始めましたが、お陰で鬱も治り、ゴルフは生涯の趣味となりました。とてもAさんのレベルには到達できませんが、Aさんからは人としてどう生きるべきかを学んだ気が致します。Aさんは北海道出身のかたでしたが、ルーツを辿れば会津に行き着くということでした。

会津人と言えば律儀で、筋の通った生き方を連想しますが、Aさんは正にそんな生き方を死ぬまで貫き通した人物でした。自分はその後サラリーマンとして生き残る為に下克上を履行しましたが、天国のAさんは、そんな自分をどう見ていたのでしょうか?大変気になるところです。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。


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2五百六十横町
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