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本日は昨日と同様に仙台市若林区地下鉄東西線荒井駅構内にある「せんだい3・11メモリアル交流館」で開催されている「MIYAGI 1951」の写真を二点ほど紹介したい。
「MIYAGI 1951」サイトURL↓↓↓

その前にご覧頂きたい写真がある。

これは震災前の2010年3月に自分が撮影した宮城県牡鹿半島月浦(つきのうら)港である。震災の約一年前ということで港の周りには住宅が建っている。震災の後の昨年、息子と行った際は多くの建物が津波で奪われ残念なものを感じている。実はこの地は、今から四百数年前に仙台藩士・支倉常長が出航したとされる場所である。

これは米国の軍医であるジョージ・バトラー氏が1951年(昭和26年)に撮影した月浦(私が8年前に撮影した写真と近いアングル)である。茅葺と思しき建物もあり、大変興味深いものを感じている。支倉常長の出航が1613年なので338年後の写真となる。

今昔マップによる国土地理院地図(大正初期)と今の航空写真である。月浦の右隣に侍濱という記載が見られるが、これは今でも残っている地名である。

これは私が8年前に撮影した南蛮井戸である。サンファン・バウティスタ号出航の際はここで大量の水を汲んでから船出したと思われる。説明書きによると、かつては南蛮小屋も存在したようだ。

これは1951年ジョージ・バトラー氏が撮影した月浦漁協界隈の写真である。ここにも茅葺と思われる建物があり、時代を感じさせる。画像の右側の外れ方向に南蛮小屋があるはずだが、残念ながらそれらを撮影した写真はないようだ。

横町挨拶
ジョージ・バトラー氏が軍事上の立場(港としての価値)からこの港を撮影したか否かは知る由はございませんが、往時は塩竈や気仙沼という大きな港があったので、その可能性は低いと受け止めております。実はバトラー氏の撮影した写真には付近の住民のスナップ写真も多く残されていました。恐らく彼は日本人の暮らしぶりに興味を抱いて、このような写真を撮影したと受け止めております。写真にほぼ共通するのが、被写体となった人物の顔がこわばってないということです。

逆に笑顔で登場する人物がほとんどです。写真に登場する人物の多くはバトラー氏には好感を抱いてカメラに収まったのでは?と思います。昨日バトラー氏の全身写真を紹介しましたが、彼は人として誠実で優しい軍医であり、我が国に進駐した際もそのような姿勢で人々に接したと私は捉えています。今回は紹介しませんでしたが、67年前の笑顔に触れると、何か自分まで幸福な気分がして参ります。バトラー氏は医師でしたが、写真家としても素晴らしい資質を有した人物だったのでは?と感じています。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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