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私の祖父は昭和41年に亡くなったが、無類の酒好きだった。今の自分の酒好きは祖父から受け継いだ気がする。祖父は365日酒を嗜んだ人だったが、どんなに飲んでも酒に飲まれるということがなかった。但し、これは私が知る範囲であって、若い頃の祖父がどんな酒の飲み方をしたのかは定かでない。ただ言えるのは、祖父は何事にも筋が通っていて、常に折り目正しい生き方を貫いてきたのだろうということである。

私から見た晩年の頃の祖父は、自分に厳しく人に優しいという印象しかなかった。従姉妹などから聞くと結構ユーモアもあったというが、自分の記憶の中では気丈で泣き言を絶対に言わない強い精神力を持った人物であった。これは父が早世した際の祖父の態度(動じる気配を見せることは全くなかった)から感じたことである。この頃は家長という言葉があったが、祖父は常日頃から家長に相応しい振る舞い自分に問い、それを心掛けているという印象であった。

私はやんちゃ坊主だったが、今思い起こすとどんなに暴れても祖父から叱られた記憶がないのである。祖父は曲がったことが嫌いだった。あれは小学校一年の時と記憶している。秋の運動会の時、祖父が見に来てくれたことがあった。その時、私と良く似た子供が後ろから小突かれているのを見て、勘違いした祖父が孫の敵討ちと称して、そのいたずらっ子を成敗(同じことをしてやった)したことがあった。これは祖父の全くの勇み足で、けして褒められたことでないが、祖父にはそんな一本気なところもあったのである。

1祖父と私

今となって祖父が晩酌でどんな酒を飲んでいたのかを知る由もないが、或いは石巻の地酒である墨廼江(すみのえ)なのかも知れない。軍人であった祖父には下級武士(ルーツを遡れば、北上川掘削などで功を成した仙台藩士・川村孫兵衛の家臣)の血を引く人物でもあった。律儀な祖父の振る舞いは何によってもたらされたのかを考える時、恐らく幼少時に親から仕込まれた厳しい躾があった所以と推察されるのである。

2猪口と徳利

今の自分にもし、夢が許されるのならば、このような日本間で祖父と膝を交え、差し向かいで酒を飲んでみたいと思うのである。もちろん若い頃の私はけしてこんなことを考えたことはなかった。それでも年を経れば経るほど、往時の祖父の人物の大きさが身に染みるほどわかるのである。今の自分が永久に祖父を越えることができないというのは断言できるが、少しでも尊敬する祖父に近づきたいと思うのである。

差し向かいでの席、祖父に酒を注いでから私はこう述べることだろう。「お祖父さん、お疲れ様でした。自分は人生の苦渋を舐めて、初めてお祖父さんの存在の大きさがわかりました。これからも自分をずっと見守ってください。」祖父はそんな自分を見て、ただただ笑い続けることだろう。

3日本間での晩酌だ

自分の理想とする酒の飲み方は、祖父のようにどんなに飲んでも酒に飲まれないということです。五十台を迎えてから浮世の憂さを酒で晴らすことの多かった私ですが、これからはこれを肝に命じて酒を嗜みたい所存です。今川義元は桶狭間の戦で陣を張った際、酒を飲んで油断したことが仇となり織田信長に討たれましたが、その二の舞を踏まぬよう背筋を正して参りたい所存です。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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4五百六十横町
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