fc2ブログ
本日の2019年7月15日(月)は祝日(海の日)であるが、私はバイクで仙台市青葉区貝ヶ森地区の伊達藩火薬製造跡地を訪ねた。バイクはすぐ傍の貝ヶ森公園の入口に止めさせて頂いた。

駐輪

突き当たり(今は住宅が建っている)が火薬製造跡地だが、藩政時代とは打って変わり、今ではすっかり住宅地で囲まれてしまっている。

1突き当たり

昭和初期の地図(今昔マップより引用)をご覧頂きたい。90年近く前は目立たない山の中だったことがわかる。(製造跡地の右脇に水辺と思われる地形が描かれていることに注目)

2昭和初期地図

河北新報社の貝ヶ森小学校版の新聞によると、ここに伊達藩の火薬製造所が造られた(厳密には移転)のは元禄年間(1688~1704)であるという。水辺(昔からここには池があった)が近いというのも、この場所が選ばれた理由の一つのようだ。昔は火薬調合所の他に火薬保管庫や従者の住まいなど50棟近い建物があったと言われている。

Google3D立体画像で伊達藩火薬製造跡地の場所を確認して頂きたい。

3Google3D立体画像

往時を偲ぶものは残念ながら残されていない。この石碑は住民のかたが建てたもので、先祖がここで火薬製造の調合に従事したとのことである。調合所は明治の初期まで火薬が作られていたというが、その後は水遊びやスケートなど子供の遊び場にもなったという。

4石碑

付近に駐車スペースはないので、車で行かれるかたは注意して頂きたい。

5Google地図

末裔のかたが私費を投じて石碑を建てるケースは以前も見たこと(古館跡)がございますが、今回もそのようなケースでした。爆発事故があったことがここに火薬製造所が移転された理由と聞いていますが、往時は土塁や堀の他、足軽などを住まわせ、厳重に警護もされていたものと察しております。

実はネット検索時「伊達藩火薬製造跡地」でヒットするサイトは非常に少なく、ややマイナーな史跡という印象を受け、敢て本日の訪問を決めました。デジタルデータとして後世に残し、後学のかたのお役に少しでも立てればと考えています。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

※ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。



6六百六十横町
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)