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 宮城県33号線 下り 
リンク動画について
これは自分の生家のあった石巻市千石町(旧横町)の車載カメラによる走行動画である。自分が撮影したものではないが、偶然YOU TUBEで見つけたのでリンクした次第である。震災に遭い、結構空き地が見受けられる。

ここで、私が生まれた頃の横町を振り返りたい。藩政時代は水運経済で栄え、その後物流の主軸が水運から陸運に変わり、街の活気にやや陰りが見え始めたものの、製紙工場の進出などで昭和三十年代と言えば、まだまだ石巻は活気に溢れていたのである。横町はかつては歓楽街(花町)としての顔があった。気仙沼や塩竈も同じだが、船乗りの街には必ずこういう面がつきものである。

動画の冒頭の40秒間に登場する画像にはこのような住吉望楼がない。この望楼が存在したのは1960年~1986年までである。それだけにこの写真は大変貴重なものと受け止めている。

※石巻まちなか情報局より引用

このビルは横街ビルである。動画に登場するオレンジ色の看板の掲げられたビルに唯一、旧町名の横町の名残を感じるのである。この店の一階にはCafe truta(カフェ・トゥルーテ)が入っているが一度訪ねてみたいと思っている。

Google航空写真で位置を確認して頂きたい。
黄色:旧横町
赤:車載カメラで動画を撮影した場所
水色:藩政時代~明治の頃まで堀があった場所
生家の前には堀が走っていたことになるが、曾祖母が生きていた頃と察している。縦横に張り巡らされた堀を偲ぶに、石巻が水運で栄えた町であるのを彷彿させるものがある。

2018年6月13日(水)に撮影した旧横町(昭和40年頃に、生家のあった左側が千石町、右側が住吉町となり現在に至る)

横町に堀が走っていたのがおわかり頂ける資料を発見した。川のほとりにある「相馬家云々」と記載された建物は志賀直哉の祖父・直道や父の直温が関係した旧相馬藩別邸であるが、今は取り壊されて現存しない。

これは車載カメラとは逆方向の横町である。道路の左側(やや画像からはみ出した辺り)にあった堀は、この辺りで北上川に注いでいたことになる。

石巻の幕末の絵図をご覧頂きたい。黄色が生家のあった場所。赤が住吉御蔵のあった場所である。「よこ町」(よこ丁ではない)と書かれているのが、はっきりとおわかり頂けると思う。

横町挨拶
自分にとっての生家はやはり千石町でなく横町です。自分はこの家の家督に生まれ現在に至っています。横町なくして今の自分はございません。その強い思い入れが昨今私の執筆の追い風となっています。去る6月13日は、天候にも恵まれ絶好のアングルで旧横町の写真を撮影できて大変満足しています。今は重ね重ね、横町利郎のブログネーム、ペンネームを名乗ってよかったと思っています。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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