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本日は藩政時代に描かれたと思われる仙台藩石巻湊の住吉本穀御蔵絵図(千石船で江戸に出荷する米などを一時的に貯蔵した蔵)を紹介したい。

その前に現在の航空写真(Google航空写真)で住吉本穀御蔵のあった位置をご覧願いたい。アンドリューム相澤と石巻市立住吉小学校の二つのセクションである。住吉小学校には低学年の三年間在籍したことがあり、半世紀以上を経た今でも大変思い入れの深い場所である。

これが住吉本穀御蔵絵図(東北大学所蔵)である。住吉本穀御蔵は全部で18棟あったと伝えられる。今回の公開はインターネット初公開と思われる。
石巻市歓慶丸写真展より転用。右側の建物(東側の蔵)がアンドリューム相澤の辺り、左側(西側の蔵)が住吉小学校の辺りである。両側の建物の間に’イナリ’という表示が見られるが稲荷神社らしい。

これが住吉本穀御蔵絵図で’イナリ’と書かれた稲荷神社と思われる。右端に工事用の杭打ち機械が見えるが、すぐ傍では護岸工事が行われている。

これは大正時代初期の国土地理院の地図である。絵図の構図のアングルは矢印の方向と思われる。この頃は藤巻ノ渡も機能していた頃である。
自分のルーツに当てはめれば、父方の祖父と祖母が結婚する前(青少年時代)である。この頃石巻は市になっていない。まだ石巻町の時代である。
赤:東側の蔵
黄色:西側の蔵(既に’文’の文字が刻まれている)

これは昭和38年~41年頃の航空写真である。放課後に毎日川に石を投げ叱られた思い出のある頃ゆえ、自分としては感慨深いものがある。死ぬまでに、あの頃の学友Iと会いたいと思うが、これは一生叶わないことなのかも知れない。私とIは毎日放課後に北上川河畔の道路を一緒に下校した。二つの蔵の間に川(濠?)のようなものが見えるが、今は暗渠となりアンドリューム相澤の西側は一見すると道路にしか見えない。

※2011年12月24日(土)更新サンタルチアのチャイムと共に参照

これは毛利コレクション安政5年(1858年)「石巻絵図」である。

この地図を見ても住吉本穀御蔵の位置は明確である。私の生家の横町(現:千石町・地図では「よこまち」と記入)も近いが、往時は水路が縦横に張り巡らされていた時代であった。二つの住吉本穀御蔵の下に小島らしきものが見えるがこれは以前本ブログで紹介した上中瀬(現石巻大橋の位置に存在した中州、大正時代に消失?)である。

横町挨拶
石巻に注ぐ北上川河口に関する資料の蓄積も相当増して参りました。もちろん執筆を意識してのことです。本記事を更新できたのも、入念な現地調査の成果と捉えています。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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