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昨日、週の中休みを利用して再び石巻市の北上川下流域を訪ねた。この場所まで仙台からは高速バスで2時間近く(徒歩に要した時間を含む)掛かった。ここは5月12日にも訪ねた袋谷地地区である。

石巻大橋から上流部を望んだ。今回のターゲットは右側の岸が出張った辺りである。実はここには昔、船の渡し(藤巻ノ渡)があった。

今昔マップで藤巻ノ渡をご覧願いたい。
※右側航空写真
赤:高速バスルート(下車は宮城バス営業所停留所)
黄色:昨日私が歩いたルート
※左の地図は大正2年測量によるものである。(大正初期の袋谷地地区の大半は水田だった)約1・7倍に拡大可能。

藤巻ノ渡はマイナーなのか?なかなかインターネットでもヒットしない。渡自体が既に死語になりつつある現代では止むを得ないことなのかもしれない。それでも検索ではこのようなヒットがあった。昭和11年に起きた「金華山沖合地震」の被害報告書に藤巻ノ渡という表示が出ていた。この地震によって河口の左岸の堤防に亀裂が入ったようだ。

この辺りが藤巻ノ渡があったと思われる地点である。残念ながら石碑など往時が偲ばれるものは何もなかった。

藤巻ノ渡に隣接する井内地区にはこのような古い建物も残されている。昭和初期かそれ以前の頃の建築と思われる。

支流の小川が合流する地点を発見。かつては集落の生活用水に使われたものと思われる。建設機械が入っている地点(護岸工事)は藤巻ノ渡より二百メートルほど上流である。

集落の中ほどに小さな神社を発見、位置から言って川の神を祀り、厄災を逃れること等を祈願したものと推察する。

標高二三十メートルほどのところに井内神社がある。その境内から対岸の袋谷地地区(約1箇月前に取材した地点)を撮影してみた。袋状になった地形、大きく蛇行した北上川がおわかり頂けると思う。右の架橋はJR石巻線の鉄橋である。

横町挨拶
昨日は、左岸湊地区に隣接する藤巻ノ渡を訪ね、残念ながら石碑などは見つかりませんでしたが。往時を偲ぶ面影に触れることが出来ました。これだけで成果があったと受け止めております。井内は稲井とも書き現在も地名として残っています。そう遠くない場所には二つの貝塚もあり、この地区には、約8000年近く前に既に人の営みがあったのが確認されています。また中世の板碑も多い地区なのでこの辺りは見応えを感じています。次回の訪問ではその辺りも視野に入れたい所存です。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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