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石巻に松尾芭蕉が立ち寄ってから今年で330年となる。私が所属している石巻千石船の会は去る6月26日(松尾芭蕉の訪れた旧暦を新暦に換算)に、松尾芭蕉の足取りを追うという企画を催した。(会報誌の画像から十数人が参加した模様)残念ながら私は参加しなかったが、石巻千石船の会の資料から元禄2年(1689年)5月10日当日の凡その足取りを推定してみた。

その前に仙台~石巻~登米にかけての芭蕉の足取りを掲げる。石巻の他には、多賀城や塩竃、松島など、寄るべきところはほぼ寄っている気がする。

1仙台~石巻辺り

元禄2年(1689年)5月10日に石巻入りした芭蕉は曾良とともに、新田町の四兵衛宅に寄って荷物を降ろしている。四兵衛宅は現石巻グランドホテル(現千石町)の脇辺りにあったらしい。ここで二人は小雨が止むのを待っている。その後案内人があったかどうかは不明だが、二人にとって石巻は土地勘がないので恐らく誰かが案内役を務めたものと推察される。

2四兵衛宅跡

元禄2年(1689年)5月10日の芭蕉と曾良のルートを曾良日記から推定してみた。(地図は1727年頃のものなので、松尾芭蕉が訪れた頃とさほど変わりないと推定)

赤:新田町四兵衛宅~裏町木戸~永願寺十字路~物見坂~日和山
橙:日和山~物見坂~永願寺十字路~裏町木戸~横町~横町小川に掛かる古渡橋~住吉の愛宕山~愛宕神社~石巻石(巻石のことと思われる)~新田町縄張稲荷大明神~新田町四兵衛宅(一泊)
となっている。

3芭蕉のルート

現在、日和山にはこのような奥の細道の石碑と二人(芭蕉と曾良)の立像が立っている。「数百の廻し船入江につどい、人家地を争いて、かまどの煙立つ続けたり、云々」往時の石巻の活気が伝わる気がする。往時の二人もこのような装いで奥州路を歩いたのではないだろうか?

4立像

横町挨拶
芭蕉は日和山から見えないはずの金花山(金華山)を見えるように表現していますが、芭蕉にとっての脚色、装飾は他にも見られることなので、さほど気になりません。また新田町の四兵衛なる人物が一体どんな者なのかもはっきりしません。

それはさておき、二人が奥州一の湊町に来たという感動がひしひしと伝わって参ります。同時に横町の自分の生家のすぐ脇を芭蕉が行ったり来たりしたことに対し、感慨深いものを感じます。今度・石巻に行った際は、是非芭蕉の足取りを追ってみたい気が致します。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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5七百横町

コメント

懐かしき思いで

こんばんは
 横町様の投稿を読んで昔を思い出しました。と申しますのは私、40代の頃石巻の 駅から鮎川までの定期観光の専属ガイドをしておりました。その時石巻に立ち  寄った松尾芭蕉の事も定期観光のお客様に説明をしていたものですから。

懐かしき思い出

こんばんは
 横町様の投稿されましたこの記事
 大変懐かしく思い出されました。
 と申しますのは私、40代の頃石巻
 駅から鮎川までの定期観光の専属
 ガイドをしておりましたためお客
 様に芭蕉が石巻に立ち寄ったこと
 などを説明していたものですから。

今晩は

今日は足跡だけでごめんなさい🙏

URL | まきの退屈日記 ID:-

こだぬきさん、ありがとうございます。

石巻千石船の会ですが、今は4月の恒例の総会のみの出席です。会員の居住地ですが殆どが石巻や東松島など石巻近辺のかたです。
毎月会報誌が送られてきます。今回の記事はそのなかから抜粋して図に落としてみました。石巻繋がりの懐かしいお話は尽きないですね。鮎川は2年前の今頃息子とドライブで行って参りました。

本日もお励ましを頂戴しました。改めまして、これからも宜しくお願い致します。ありがとうございます。

こだぬきさん、ありがとうございます。

自分の使命は先賢であるアナログ世代のかたの貴重な資料(殆どが紙媒体)をデジタル化して後世に残すことです。本記事はそんな使命感に駆られながら、記事を起こしました。少しでも後学のかたのお役に立てればと考えていますが、これは尊敬する紫桃正隆氏(1921~2008、旧河北町在住で石巻地方面の教諭をしながら40冊近い郷土史の著を残した郷土史の大家)の信条でもございました。

生前、紫桃氏に逢ったことはございませんが、尊い志ゆえ深く共鳴しております。おはからいにより、今回もお励ましを頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

まきさん、ありがとうございます。

とんでもございません。いつもご厚情を賜り大変感謝しております。
本日もお志を頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

こんにちは、
松尾芭蕉のおくのほそ道は学校で勉強した記憶が
あります、
横町さんの生家の近くを散策してたのも興味深いですね、
最近まで「松島や ああ松島や・・」の句は
松尾芭蕉の句だとばかり思ってたら後世の人が
パロディ風に詠んだ曾良の句だったとか・・
ですね、

URL | 雲MARU ID:-

こんばんは~♬

芭蕉の足跡はあちらこちらにありますね。
先日芭蕉のむすびの地、大垣を訪れたとき、
奥の細道の旅は5ヶ月だったと知りました。
足跡が多いので、何年も掛かったと何となく思っていたので、驚きました。
また、芭蕉の足跡の記事、楽しみにしています~♬

URL | 布遊 ID:-

雲MARUさん、ありがとうございます。

記事の隅々まで目を通して頂き感謝申し上げます。所属する「石巻千石船の会」の会報誌で、自分の生家のあったところのすぐ傍を芭蕉が通ったということにインパクトを感じ本記事を立ち上げました。

本日もお励ましを頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

布遊さん、ありがとうございます。

奥の細道で辿ったルートを振り返り、芭蕉は健脚だったものと察しております。曾良日記からも往時の故郷の事情が蘇り、感動しました。
おはからいにより、今回もお励ましを頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

こんにちは

どうも一度目の送信が上手くいかなかったようなので再度投稿です。

奥の細道 山形に入る前が石巻あたりのようですので大変興味深いです。
各地に芭蕉像がありますがたいてい芭蕉だけを建ててあります。曾良と二人は良いですよね。
曾良日記も奥の細道をしっかりサポートしているのですから。

どんなところにいっても二人は歓待されています。
俳諧というものが東北でも流行っていて芭蕉はすでに有名人だったのですね。
まあたまには例外もありまして馬小屋で泊まったりしていますが。

酒田でも芭蕉が泊まった豪邸は標識が建てられ場所は分かるようになっています。

URL | つや姫日記 ID:-

つや姫さん、ありがとうございます。

・二度目のコメントでようやく投稿に至った原因は調べ切れていませんが、FC2ブログのコメント欄は記憶機能(以前コメントしたものを再び再現する機能)を有していますので、この機能に頼れば安定したコメントが可能となると捉えています。何卒宜しくお願いします。

・今回は奥の細道における石巻の足取りに絞ってみました。石巻千石船の会から送られてきた書式(アナロ)をデジタル化するのが己の使命と認識しております。大筋で叶ったものと察しております。

・酒田で芭蕉が泊まった場所(鐙屋の近く)については先日姫のブログへのコメントとして書かせて頂きました。石巻はで宿泊した場所は自分の生家と三百メートルほど離れた場所と受け止めております。おはからいにより、本日も厚誼を頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

芭蕉の奥の細道の紀行地、ヤマトの蝦夷地進出の遺跡とともにいつか訪れたいと思っているところです…。記事の掲載に感謝いたします…。

URL | boubou ID:-

boubouさん、ありがとうございます。

記事の趣旨は石巻における松尾芭蕉の足取りについて書かせて頂きました。
①松尾芭蕉が四兵衛に泊まったいきさつ
②四兵衛なる人物が一体何者なのか?
等、現時点で多くのことが判明していません。そう考えると自分の興味の対象は立派な研究に値するものと捉えています。石巻に郷土史の知識のある拠点(石巻千石船の会)は極めて大きく、横の繋がりから入って来る情報を大切にしたいと考えています。

貴兄の夢が叶うのを祈念しております。本日もお志を頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

横町利郎様

門人を伴い江戸を発ち奥羽、北陸の各地をめぐり
大垣につくまで何年もかかったのかとおもいきや
僅か半年、足腰が強く健脚だったのでしょうね。
現在の日和山には奥の細道の二人の像が立って
いるのですね。横町さんの生家のすぐ傍の道を
芭蕉が歩いたなんて遠い昔のことながら
興味を感じて歴史探訪も楽しみが増しますね。

ボタンとリボンさん、ありがとうございます。

芭蕉、並びに奥の細道へのご賢察、誠に恐れ入ります。自分の生家(横町)の脇を今から330年前に二人が通った。これは未だに鳥肌が立つことです。芭蕉ほどではございませんが、自分も健脚を保ち多くの史跡を訪ね歩きたい所存です。

話は変わりますが、自分の役割はアナログ世代とデジタル世代の間に割って入り、中を取り持つことと考えています。先賢が残した活字をデジタルに変換し、後は後学に託したいと考えています。

おはからいにより、本日もお励ましを頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。


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