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はしがき
歴史はマイナーなものほどはまる傾向にある。それは誰も踏み入れたことがない、もしくは踏み入れても足跡が殆ど見当たらないものに遭遇した際、自分が魁となることへの感動であり、自分が死ぬ前に果すべき使命とも考えている所以である。

今回新たに取り組むことを決意したのは戦国時代末期に笊川(名取川の支流)で行われた「笊川の戦い」である。最初に執筆に当たって参考にさせて頂いた文献(飽くまでも本日までのもの、敬称略)を羅列する。順序は不同である。
①紫桃正隆著「みやぎの戦国時代 合戦と群雄」
②八本松連合町内会、郡山地区連合町内会他「八本松・郡山まち物語」
④仙台市博物館市史編さん室監修「仙台市史 資料編7 城館」
大林昭雄著「仙台藩陰に生きた勇者たち 伊達忍帖控」

下図をご覧頂きたい。16世紀中頃の宮城県周辺の大名・豪族の勢力図(みちのくトリッパー様より引用)である。この勢力図が頭に入っていないと理解は難しい。粟野氏と書いたところが北目城と笊川の領域である。粟野氏は独立した豪族にも見えるが、笊川の戦いが起きた頃は伊達氏の麾下に属しながらも、自らの領地を維持していた(一歩間違えば反旗を翻す状況)のである。

1みちのくトリッパー様データ

次に奥州伊達家の略系図をご覧頂きたい。稙宗は独眼流で知られる仙台藩祖・伊達政宗の曽祖父に当たる人物(14代当主)、晴宗は祖父に当たる人物(15代当主)だが、この二人が周辺の大名や豪族を巻き込む内乱(骨肉の争い)を起こしたのである。この戦いは「天文の乱」と言われ、天文11年(1542年)~天文17年(1548年)まで6年ほど続いた。登場人物の一人になる亘理元宗は伊達晴宗の弟(独眼流政宗から見れば大叔父)に当たる。

2奥州伊達家家系図

伊達稙宗(1488~1565)伊達家第14代目当主。婚姻外交を織り交ぜて伊達家を強大化させたが、後に三男・実元の養子問題により、長男・晴宗と争った。稙宗は側室を多くかかえ、子沢山でも知られる。

3稙宗画像

伊達晴宗(1519~1577)稙宗の子。伊達家第15代目当主。母は蘆名盛高の娘。足利義晴から諱の一字をもらい晴宗と名乗る。天文11年(1542年)弟実元の越後上杉氏への入嗣に反対し、父稙宗と天文の乱を起こす。その後米沢城に移り左京大夫、奥州探題に補任され、室町幕府から大名に認められた。天文22年(1553年)『伊達晴宗采地下賜録』を作成して家臣に対する知行判物を再交付。更に懸田氏を滅ぼして家臣団を統制し領内支配を強化した。また子どもらを近隣の有力大名に入嗣、入嫁させ勢力を拡大した。永禄7年(1564年)頃に杉目城(福島市杉妻町)に隠居する。

4晴宗坐像

天文の乱は入嗣問題が長じて稙宗が相馬氏とねんごろになり伊具郡などを領地に与えたことで起こった戦いである。奥州の作法(近隣同士の大名が戦わないように縁組みで繋がろうとしたもの)により、伊達氏と相馬氏はこのように血縁関係となっている。

5伊達と相馬の略系図

笊川の戦いは弘治3年(1557年)頃~天正3年(1575年)頃にかけて、数度(最低三度)に渡って行われたようだ。そのうちの永禄7年(1564年)の戦いを扱った著作が先に紹介した大林昭雄著「仙台藩陰に生きた勇者たち 伊達忍帖控」である。大林昭雄氏は仙台藩志会に所属しており、郷土史家として知られるかたで、私も一度大林氏が経営される一番町のギャラリーでお会いしたことがある。

大林氏はこの戦いを「名取郡北目合戦」と名づけている。本書の14ページから15ページにかけて六百字ほどの文章で書かれ、題名は『名取郡北目合戦之事』となっているが、内容については亘理元宗の次男の北目への養子縁組が決まったにも関わらず、この約束が反古にされ、兄の晴宗への遺恨に転じて、相馬氏を巻き込み、援軍を募り笊川(座留川)の名取川合流部付近で戦いとなったというものである。

6地図

去る9月28日に私は合戦があったと思われるセクション(大林氏の記述が真実ならば)を訪ねた。笊川の命名だが、普段は堀のような水量であるが、大雨時には濁流と化し、何度も氾濫を繰り返すので笊の如しと称されたのが由来であると言われる。現在の旧笊川流域は住宅地でマンションや戸建てがほとんどである。治水対策が進んだ現在、水害には暫く見舞われていない。

7戦い想定箇所原図

Google航空写真で北目城と侍屋敷、笊川の位置を確認して頂きたい。

8北目~笊川Google航空写真

この地図は宮城縣という文字が見られるので明治初期の地図と思われる。開発がほとんど進んでいない頃なので、侍屋敷の跡や旧道の位置が確認できる。

9侍屋敷陸奥国名取郡郡山村縮図シャープ版

横町挨拶
私の好きな言葉の一つに「ローマは一日にしてならず」というものがございます。「笊川の戦い」(仮称)を書くために2013年頃から、仙台市博物館主催の歴史講演会に出席したり、相馬郷土研究会の講演への臨席、或いは様々な文献に目を通して関連する部分をピックアップしてきました。それでもなかなかペンが進まなかったのは参考文献が極端に少ないということです。

そんな中で決め手となったのは、先日仙台市図書館で偶然にも大林昭雄氏著の『名取郡北目合戦之事』を発見したことです。短い文章でしたが、笊川の戦いに触れた部分があったのです。基盤となる部分が出来たので、自分の使命はこうした著作をヒントにしながら新たな構想を練り、戦国の世の切迫した情勢を表現できればと考えています。その為には小品を数回に分けて書き、背後に流れる大きな本流を見出したい所存です。こうした指向は顧客への作品提供という大義のもとで、ここ数年に渡ってずっと自分が手掛けてきたことです。

現地取材を重ねてモチベーションも徐々に高揚し、今はようやくそのスタートラインについた気が致します。後は史実の細部を煮詰めるとともに、それに対して自分がどう感じたのかを加えて、あまり根をつめ過ぎない程度に取り組みたい所存です。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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