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Nkosi sikelel' iAfrica South Africa vs New Zealand Rugby Championship 2015


南アフリカ共和国国歌「神よアフリカに祝福を」和訳


(コサ語)

主よ、アフリカに祝福をその栄光が高く掲げられんことを

(ズールー語)
我らの祈りを聞き届け、あなたの子である我らを祝福したまえ
(ソト語)
主よ、我らの国を護りたまえ御手によりすべての争いを鎮めたまえ我らと我らの国を護りたまえこの南アフリカの国を
我らの上なるこの青き空より我らの海の深みよりこだま渡る険しき永遠なる山々より
(英語)
に来たれと呼ぶ声がある我らは共に立ち上がる自由のために生き、さあ励もう南アフリカ!我らの国

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世界W杯ラグビーで南アフリカが優勝し、ラグビーファンの一部では、さながら南アフリカフィーバーが続いている。南アフリカチームは11月5日と6日の二手に分かれて帰国し、その後は10日あたりまで優勝祝賀パレードが執り行われるという。

南アフリカ国歌の「神よアフリカに祝福を」は独特の高揚感を抱く曲であるが、五ヶ国語で歌われるところに、民族統一の苦労を垣間見る気がする。もしこの歌を英語だけにすれば、アフリカ系の国民に不満を与えるものとなるだろう。そこにコサ語、ズールー語、ソト語とアフリカーンス語を加えたもので、世界広しと言えどこれほどダイバーシティー&インクルージョン(多様性と共存共栄の理想郷)の精神の大切さを訴える国歌は存在しない。 

リンク動画は2015年におけるラグビーの試合前に演奏された神よアフリカに祝福を」である。当初は所々を歌わない国民が多かった(自分の言語のところばかりを歌った)と聞くが、今では全ての南アフリカ選手が曲の最初から最後までを歌う。本日はこの曲を定めるのに関わったとされる故ネルソン・マンデラにポットを当ててみたい。


1国旗

ネルソン・マンデラ(1918~2013)略歴

南アフリカのトランスカイ(現東ケープ州)生まれ。フォートヘア大で学び、1944年にアフリカ民族会議(ANC)青年同盟の創設に参加。1952年、非白人の弁護士として初めて法律相談所を開設。弁護士となった彼は若くして反アパルトヘイト運動に身を投じることとなった。1961年にANCの武力闘争組織「民族のやり」を創設。1962年に逮捕され、1964年反逆罪などで終身刑となり投獄される1986年に獄中で白人政権との交渉開始、1990釈放された。1993年に同国のフレデリック・ウィレム・デクラークとともにノーベル平和賞を受賞。1994には南アフリカ初の黒人大統領に就任。1995年、日本公式訪問する1999年政界引退する


2ネルソン・マンデラ

今回参考にさせて頂いた文献は長田雅子訳「ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉」である。彼の肖像写真をご覧頂きたい。彼の肖像写真の多くは微笑んでいるが、マハトマ・ガンジー、マザーテレサ、ダライ・ラマ14世…と概して徳の高い人物の表情は微笑んだものが多い。


彼の柔和な表情とは裏腹に深く刻まれた皺には、27年間にも及ぶ投獄生活で受けた深い苦悩を重ねる気がする。例え肉体朽ち果てても精神は滅ばず。投獄された多くの思想家がそうであったように、彼の投獄生活には不撓不屈の精神を感ぜずにはいられない。彼は獄中でも読書に勤しみ自己研鑽を怠らなかったという。 そんな彼が残した名言で、特に印象に残ったものを挙げてみたい。


3二冊

先ずは今回のW杯ラグビー優勝にちなんだ言葉を引用したい。


「スポーツはかつて絶望しかなかったところに希望を生み出すことができる。人種的に立ちはだかる壁を打ち砕くにあたっては、政治よりもはるかにパワフルだ。ありとあらゆる種の差別をものともせず、人々を笑顔にさせるのがスポーツの素晴らしさだ。」(2000年5月25日のローレウス世界スポーツ賞生涯功労賞受賞に際して述べられた言葉)


ネルソン・マンデラは1995年に自国で開催されたW杯ラグビーにかなり尽力した経緯があったが、この言葉は彼の本音であり、多くの南アフリカ国民が共感を抱く言葉と解釈している。更にこれは去る11月2日のW杯ラグビーの優勝インタビューでシヤ・コリシキャプテンが述べた言葉とも重なるもので、他民族からなる南アフリカの民族融和の精神の一翼を成すものである。


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次に彼の勤勉さを物語る言葉を紹介したい。

「刑務所に戻りたくて仕方がなかった理由の一つは、釈放後本を読んだり思索にふけったり静かに自己を振り返ったりする機会が殆どなくなったことである。」(2004年6月2日の記者会見において)


アパルトヘイト撤廃に命を懸ける。ネルソン・マンデラにとっては、常に自己研鑽に努めるのが、志を失わない大きな基盤となったものと捉えている。そんな彼の心意気が痛いほど伝わってくる言葉である。意志の堅い者は投獄されても志を奪われないというが、そう言えば我が国の幕末の志士である吉田松陰なども、獄中では物凄いスピードで著物を読み漁ったと聞いている。


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最後に彼の信念であったアパルトヘイト撤廃に関するものを挙げたい。

「南アフリカと言う国やその国民と戦うためでなく、非人道的な制度に反対し、アパルトヘイトという人類に対する犯罪を一日も早く終わらせるために、私たちに力を貸してくれた世界の何百万もの人々、反パルトヘイト運動、政府、組織の代表として私は今日この場に居る。」(1993年12月10日ノーベル平和賞受賞に際しての演説)


アパルトヘイト廃絶という信念に生き、その生涯を南アフリカという国に集う、民族の融和に捧げたネルソン・マンデラの生き様を見事に表した言葉と解釈している。


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横町挨拶
ネルソン・マンデラは獄中生活が長く、或る時期は苦悩の人生を送りましたが、慈愛に満ち溢れた人物と察しております。大変な苦労人であった彼ですが、生前様々な名言を遺しています。本日はその中でも特にインパクトの強い言葉を紹介しました。世界の各地で様々な紛争が発生していますが、彼の生き方は我々に融和の精神を説くものと受け止めております。

全ての人間と上手く付き合うのは難題ですが、これからは彼の生き様をヒントとして少しでも融和の範囲を広げて参ります。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。


4六百横町
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