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 A Whiter Shade of Pale; the organ part 
リンク曲について
現役時代の苦い思い出の反芻もようやく終局を向えつつある。自分は五十を目前にして鬱を発症した。その時どんなに窮地を向えても神仏には救いを求めなかった。但し先祖に救いを求めたのは事実である。自分の先祖には全て戒名がつけられており、恐らく各々の死後において、僧侶に念仏を唱えられることに違和感など感じなかったことだろう。少なくとも仏法に異議を唱えるなどという罰当たりなことはなかったと察している。

だが私はそうでない。既に菩提寺の副住職には自分が死んだ後に、この寺に葬られた暁には俗名をもって戒名とするよう頼んでいる。私は自分が死んだら無になると信じて疑わない。そんな時に脳裏を横切るのが志賀直哉の言葉「ナイルの一滴」である。

志賀直哉「ナイルの一滴」
人間が出来て、何千何万になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生れ、生き、死んで行った。私もその一人として生れ、今生きているのだが、例えて云えば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年溯っても私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。

今の自分は志賀直哉の考えと全く同じである。従って自分が死んだら、葬式は無宗教とするように息子には伝えている。そんな私に一つだけ注文がある。もし葬式をやってもらえるなら、その席でこのBGM(プロコルハルムの「青い影」)を流して欲しいということである。

こうした欲求はエゴイズムなのかも知れない。自分が先祖に対して限りない敬愛を抱くように自分の死後において、子孫にその考えを押し付けるのは余りにも虫のいい話なのかも知れない。そんな取り止めもないことを考えながら、本日は週末の美酒に酔い今宵はキーボードを叩いている。プロコルハルムの「青い影」はそんな心境を誘うに相応しい名曲である。
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さて、前回の記事で私の新たなペンネームが横町利郎に決まったことをお伝えした。本日は横町利郎に、これから何が出来るのかを考え箇条書きにしてみた。
①生前の祖父の生き方に背くことがないように、何事も真摯に、自他に対して恥ずかしくない生き方を貫く。
②今から何年生きられるのかはわからないが、死の寸前まで前を向き、過去を振り返らずに、創作を己に課せられた天命と心得、執筆に勤しむ。(これからは歴史ものの執筆が主となるものと察している)
③ナイルの一滴に過ぎない自分だが、有隣(徳は孤ならず、必ず隣を為す)を信じて、論語で言う五常(信・義・礼・智・信)を目指して日々精進する。
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横町挨拶
私は無神論ですが、数年前に学んだ儒教思想によって、今はだいぶ救われました。現役時代で寂しかった人脈が、定年後になって構築されたのはやはり儒教のもたらした恩恵に他ならないと受け止めております。振り返れば、在りし日の祖父が目指したのは儒教思想だったと受け止めております。

横町利郎を名乗るからには、そういう祖父の思い入れを察しなければなりません。そんな祖父の生前を偲び、思い当たる言葉は「過ぎたるは及ばざるが如し」です。この言葉は我々東北人にとって忘れてはならない言葉です。即ち、「出しゃばることは徳に非ず」ということです。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。
              
             
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