fc2ブログ
本日は去る5月12日に訪れた登米市の史跡についてお伝えしたい。北上川は全長249キロで全国5位、東北で1位の長さを誇る大河である。「北上川」の立て看板の右側にあるのは松尾芭蕉止宿跡の石碑と立て札とである。背景の小高い丘は中世まで葛西氏(三十万石の大名)が居城した寺池城址である。

Google地図で登米と示す地点は登米市役所のある所であり、今回お伝えするスポットは数キロ東のほうに行った場所(←の部分)となる。ここから河口の石巻までは30キロほどなので、まだまだ中流域とは言えないのかも知れない。

ここが芭蕉の止宿したところとされるが、石碑と看板があるのは堤防の上であるが、実際1689年に、芭蕉の泊まった場所は看板の文字を追う限りでは明確でない。恐らく資料不足で特定が難しいのだろう。

寺池城址の郷土資料館「懐古館」に行って学芸委員のかたに逢った話は、以前お伝えしたが、その時のような資料「先人を讃えて~とよま四百年の歩み~」を求めた。(税込み¥400で販売)

その資料に大変興味深い絵図が掲載されている。幕末の文久年間(1861~1863)における登米城下絵図である。寺池城の下には城下町が拓かれているが、登米は葛西氏滅亡後の藩政時代からは登米伊達氏(仙台伊達氏とは血縁関係)が統治した地である。城下町でもあり宿場町でもあるこの町の栄華が偲ばれる絵図である。

この絵図には北上川の船着場も描かれており、平田船らしきものが見受けられる。平田船は幅が4~5メートル、全長約20メートルで、一度に350俵~450俵の米が積めたという。この平田船によって物資は河口の石巻に運ばれたのである。この絵図で大変興味深いのは町の通りが一本道でなく、城下町特有のクランク状に造られている点である。

堤防から下流方向を望む。かつては行き交う平田船で賑わったこの界隈だが、今は小さなボートが数隻係留されているのみである。

ミック挨拶
文芸誌「みちのく春秋」夏号に発表する予定の歴史随筆の題名は「大河北上と我がルーツ」に決めました。作品を書く上で大切なのはしっかりと骨子を練ることです。自分がヒントにしたのは司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズです。その為には資料集めが肝心。本日はそれを踏まえ、仙台市図書館で多くの資料を借りてきました。

それに平行して構想のほうはウイークデーの朝、出入りのカフェで練っております。内容的に、河口石巻~石巻市袋谷地地区~登米は既に取材に及んだ為、ある程度のものは書けるものと踏んでおります。読者様、ブロ友様には近いうちにお披露目したいと思っています。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)