fc2ブログ
本日は今から約85年前の石巻を描いた日本画「日本風景集 東日本篇 石巻の暮雪(1935)」を紹介したい。1935年と言えば、昭和10年で第二次世界大戦が始まる前のことである。高村光太郎が石巻を訪れたのは昭和6年なので、それからわずか4年後となる。

昭和6年8月に石巻を訪れた高村光太郎は紀行文「三陸廻り」の中の一節で「石巻西内海橋に近い福島屋旅館の欄干の前を大北上川が鷹揚に流れている。仲の瀬島(中瀬)を中洲にしていかにも古風な湾曲を見せて落ち着き払った、今引潮の強い波をあげているこの川を誰が人工の川と思わう。自然の流系追波川の水を横から鹿又でもぎ取り第四期沖積層の幾キロメートル貫いて殆ど天工に等しいこの川口の港を作り上げた昔の奴はすさまじい。」と語っている。

どうやら昭和初期の北上川河口は、石巻に初めて足を運んだ高村光太郎を驚嘆させるようなオーラを放っていたのだろう。この時の光太郎の賛嘆(昔の奴はすさまじい)こそ、江戸時代に大改修工事に携わったであろう、我が祖父方ルーツに是非聞かせたい言葉である。この日本画が書かれたのは光太郎が石巻を訪れてから間もない頃と受け止めている。

実はこのアングルは中州に出来た中瀬(なかぜ)という島(厳密には人工的に造られた)であるが、非常に味わい深い絵である。

1雪の中瀬・川瀬巴水「日本風景集 東日本篇 石巻の暮雪」 (1935)

この絵を描いた日本画家(版画家)の川瀬巴水である。川瀬は日本全国を旅して、このような味わい深い日本画を複数描いたという。ところで、小説の神様と言われた志賀直哉が生まれた年も川瀬と同じ1883年(明治16年)であった。直哉は1883年の2月に石巻の住吉町に生まれ、2歳までこの地で育った。この絵が描かれた約50年前に、或いは物心がつくか否かの直哉が、この絵と同じ場所(生家からは700メートルほどしか離れていない)を見たのかも知れない。

2川瀬巴水氏

Google3D立体画像で絵画が描かれた場所を確認して頂きたい。(黄色い矢印が絵が描かれたアングル)2011年の震災の津波で大きく浸食された中瀬が痛々しい。矢印の左側に新たな橋の建設が進んでいるのがおわかり頂けると思う。

3Google3D立体画像中瀬

これは昭和後期~平成初期(一桁)?にかけて撮影された、ほぼ同じアングルの中瀬である。中瀬の先端(上流部)には神社(柵で囲まれている)が祀られていたが、自分は1964年にここで釣りをした記憶がある。色は褪せているものの神社の柵や樹木やフォルムに、僅かながら巴水の日本画との一致を見る気がする。

4平成か?

横町挨拶
川瀬巴水の絵画は、インターネットを見ているうちに偶然に見つけました。「地球温暖化」などという言葉など微塵もなかった明治16年に生を受けた志賀直哉(2月16日生まれ)が生まれる一週間前の2月9日に、石巻は最低気温がー14度に達しており、記録的な寒波に見舞われたと言います。(阿川弘之著 師匠 「志賀直哉」より)

川瀬巴水の作品「日本風景集 東日本篇 石巻の暮雪(1935)」を見る限り、なんとなく往時の冬の寒さが偲ばれる気が致します。作品からは写真ではとても表しきれないような柔らかな印象を受けますが、今の時節に鑑賞すると一層実感が湧く気が致します。自分もこの絵画が描かれた30年近く後に、毎日通学でこのアングルに近い景観を見ていたので、大変感慨深いものを感じます。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。

5六百横町
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)