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2018年より文芸誌みちのく春秋に5回に渡って連載した『我がルーツと大河北上』が完結し、私は区切りをつけるために生家のあった石巻市旧横町(現千石町)に向かった。交通機関は高速バス(宮城交通)である。1時間40分ほどで、千石町(降車専用)の停留所に到着した。ここは旧横町に直行する新田町である。

元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が石巻を訪れた際に、曾良とともに宿泊した四平衛の家があったとされる石巻グランドホテルの敷地内に「芭蕉翁止宿の碑」がある。この場所については異説もあり、定かでないが三百数十年前に生家の近くに芭蕉が泊まったのは間違いないようだ。
参照記事

石巻での松尾芭蕉の足取りを追う


1高速バスだzo

このビューは一昨日紹介した昭和五十年代半ばに撮影されたと思われる横町とほぼ同じアングルでの撮影である。尚、本日石巻に向かった主な目的は
①生家のあった横町の近況確認
②生家近くの住吉公園(住吉神社が鎮座する場所)の大規模土木工事の近況確認
③川瀬巴水画伯作品「日本風景集 東日本篇 石巻の暮雪(1935)」が中瀬をスケッチした場所の確認
である。これらを一回の記事で掲載するのはとても無理なので三回位に分けて掲載したい所存である。

2横町

町名が千石町になってから久しいので、現在「横町」という名称のものを見つけるのはなかなか容易でない。このビルは「横街ビル」と言って、かつての町名である横町をもじった建物と思われる。数店のテナントが入っているようだがやや活気に乏しく、一階のイタリアンレストランを除いて営業しているかどうかはわからなかった。

3横街ビル東より

旧町名である「横町」が刻まれは石碑はここだけで見られる。以前は住吉公園の階段脇にも「横町」と刻まれた石碑(寄贈主が刻まれたもの)あったが、某寄贈主がいなくなり、最近撤去されたようだ。

4横町町名石碑

石碑のある三陸河北新報社から北方向を望んでみた。所々に空き地があり歯抜け状態である。私が生まれ育ったころは住宅や店舗が所狭しと建ち並んでいたのだが、それだけ斜陽化が進んだということである。その斜陽化に2011年の大震災が更に追い打ちをかけた状況である。

5生家前横町

生家跡から住吉神社に向かう道路。元禄2年にここを芭蕉と曾良が通ったものと思われる。中央左寄りの工事看板のある辺りに横町小川(別名墨廼江堀)を渡る橋が架かっていたというが、恐らく二人はその橋を渡ったことだろう。

6芭蕉が通った道

ここは住吉新町と言って人口に掘られた堀(横町小川)のあった場所であるが、今は暗渠になっている。私のルーツ(高祖母のRや曾祖母のM)がこの堀とどう関わったのか?興味深いものがある。

7横町小川

横町挨拶
昨日よっぽど石巻に行こうと思ったのですが、昨日は曇天のため、天気予報を見て先送りして本日にしました。どうしても青空の下で写真を撮りたかったからです。本日は幸運にもそれがかなって幸いでした。それと雪が全くないもの追い風になります。

実は本日旧横町を歩いている時、ルーツや歴史に名を遺した人物への様々な想いに駆られました。これには作品をようやく書きあげたという達成感もあったわけですが、目を閉じると過去の出来事が走馬灯のようにぐるぐると回り、胸がいっぱいでした。涙ぐむ一歩手前で、暫くはここを離れたくないという気持ちでした。

そういう事情もあり、これ以外のこと(住吉神社や新内海橋の工事の進渉状況や中瀬の復興状況など)はこれから数日かけて分割してブログに掲載したいと考えております。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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8六百横町
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