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本日は石巻市中瀬に再建された石巻ハリストス正教会堂を紹介したい。この建物は元々千石町(旧新田町)にあったが1978年の宮城県沖地震で被害を受け、その2年後の1980年にここ中瀬に移転された。その後2011年の太平洋沖大震災の津波で半壊し、大修復を経て昨年の2019年に再建されたものである。画像は西側からのアングルである。

1西側より

石巻ハリストス正教会堂の庭から河口側を望んでみた。正面の白い建物の左側には日和大橋が見える。

2河口側

周囲は更地となっている。石ノ森漫画館とは目と鼻の先(建物の陰のほう)である。

3建物の周囲

石巻ハリストス正教会堂は石巻指定文化財になっている。二度の震災にたたられただけに再建は感無量である。係員のかたの説明によると建物はロシア風とのことである。

4説明板だ

教会⛪は白が似合う建物が多い気がする。

5南側正面

1階内部からの撮影。このように押上げ式の窓が特徴となっている。

6押上窓

1階には畳が敷き詰められた和洋折衷の部屋もあった。掲げられている写真は津波の被害に関するものであるが、今はすっかり修復され、140年前に新築されたばかりの頃の風情を取り戻している。それにしても手を伸ばすと天井に手がつくほど天井が低い。ロシアでは冬の寒さが非常に厳しいので、暖房を考えてこのような指向になっているということであった。

7和室

60度という非常に急な階段が、如何にも昔の建物らしい。

8階段

2階は礼拝室となっている。司教の部屋は奥のほうと見られる。

9二階内部

横町挨拶
石巻出身の私ですが、この教会は初めて訪れました。明治13年(1880年)建立とのことですが、この年は祖父方のルーツが大街道開拓(士族授産事業)に入植した年でした。ちなみに私の祖父はまだ生まれておらず、高祖父や曽祖父の時代でした。それを思うと長い年月の経過を重ねます。昔から港町には進取の気風が漲っていると言われます。国内からのものは元より、海外から入ってきたものもすんなりと受け入れてしまう。我が石巻の明治時代はそのような土地柄であったと受け止めております。

一方で自分と血の繋がってない横町家の曾祖母Mは1855年生まれなので、この教会が新田町に建てられた時は24、5歳でした。曾祖母は生家とは目と鼻の先にあったこの建物をしょっちゅう目にしていたに違いありません。1920年頃になると養子に入った祖父や、嫁に来た祖母の目にも触れたことでしょう。それを思うと不思議なもので、なぜか初めてお目にかかった気がしないのです。

それはさておき、今は数奇な運命(私はここに石巻の真骨頂である「フェニックス的スピリッツ」を重ねます)をたどったこの教会がこの地に永らく建っていることを願うばかりです。
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10六百横町
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コメント

この建物、短い間に2度も震災の被害に遭うというのは、大変不幸なことでしたね…。
しかし、短期間に復旧…。それほど地域にとっては重要な、建物なのですね…。
今後は、末長くこの地に残ることをお祈りしております…。

URL | boubou ID:-

boubouさん、ありがとうございます。

移転とは言え、石巻にとっては重要な文化遺産です。この建物が復活した意義は極めて大きいと捉えています。石ノ森漫画館とは50メートルしか離れていないので、家族連れにも見てほしい気が致します。寄付も集められたということですが、二度の震災を乗り越えた今回の再々建には頭が下がる思いが致します。

お陰様で、本日もお志を頂戴しました。おはからいに感謝しております。ありがとうございます。

今日は、

二度もの震災被害を受けて昨年再建されたのですね、
外観は中々の今風な感じですがロシア風の建物でしたか、
1階は畳が敷かれてるので驚きました、
礼拝室は2階だったのですね、
ハリストス正教会も初めて知りました、
(最後の文書の 昭和13年(1880年)建立
は明治13年(1880年)ではないでしょうか?)

URL | 雲MARU ID:-

こんばんは

災害にあわれて、再建を待っていた方も多かったと思います。地元のハリストス正教会堂は年に何度か行きますが石巻にもあったのですね。
内装も綺麗になり、寒さをしのぐような昔からの工夫もそのまま生かされて懐かしさと新鮮さを味わえそうです。多くの方が訪問されると良いですね。

URL | Joey rock ID:-

こんばんは
 本当に再建されて良かったと思っています。
 私は震災前には1度訪れたことがありますが、
 再建してからはまだ行っていませんが、横町様
 のブログにて見させていただき良かったです。
 あの階段を上っていくのは大変でした。

URL | こだぬき ID:-

雲MARUさん、ありがとうございます。

年代のほうは貴兄のご指摘の通りで、直しておきました。大変申し訳ございません。ここは貴兄がよくご存じの山西造船のあった場所です。古い石巻の写真を見ますと確かにこの辺りと察しております。二度の震災に遭いながらフェニックスの如く蘇った美しいハリストス正教会堂は石巻の誇りです。

和洋折衷というところも個性と受け止めております。本日もお志を頂戴しました。おはからいに感謝しております。ありがとうございます。


joeyrockさん、ありがとうございます。

そちらにもハリストス正教会堂があるのですね。情報を頂き感謝しております。石ノ森漫画館がすぐ傍にあるのですが、訪問者の数は今一つです。それでも港町石巻としての文化的な価値は高いと考えております。

お陰様で、今回も有意義な話題を提起して頂きました。おはからいに感謝しております。ありがとうございます。

こだぬきさん、ありがとうございます。

確かにこの階段は急ですね。千石町(旧新田町)にあったこの建物が移転されたのが昭和53年の宮城県沖地震とのことで震災との因果を強く感じる建物です。震災の度に二度も建て替えられたわけですが、石巻の文化遺産ゆえ、もう二度と被災して欲しくないですね。

お陰様で、本日もお志を頂戴しました。ご配慮に感謝申し上げます。ありがとうございます。

こんにちは

この様な作りの教会を初めて見ました。
2度も大きな災害に見舞われてもなお復活して
何か力を感じますね。
堂々とした建物ですね。ここで礼拝が行われているというのではないのですよね。

少し話変わりまして
東北の隠れキリシタンという番組をみました。
隠れて信仰を護っていた人々が東北にも数万いると番組では伝えていました。
長崎だけでは無かったのですね。

URL | つや姫日記 ID:-

つや姫さん、ありがとうございます。

教会には詳しくないのですが、石巻ハリストス正教会堂は非常に美しい建物という印象を抱きました。この建物は1880年から宮城県沖地震の起きた1978年まで、生家横町の近くの新田町にありました。然らば横町家の我がルーツの多くがこの建物を見たと認識しております。

隠れキリシタンの話、以前丸森の筆甫地区で偶然遭遇した経緯がございました。姫の喚起により俄然興味が湧いて参りました。実は宮城県北部にこのような部落が結構あるのです。(その時歴史が動いた「伊達政宗 天下に旗をあげよ ヨーロッパにかけた夢」で藤沢地区(岩手県との県境に近い場所)が紹介されましたが、次回以降のみちのく春秋に投稿するシリーズとして視野に入れたい所存です。

お陰様で、本日もお励ましを頂戴しました。おはからいに感謝しております。ありがとうございます。

横町利郎様

旧石巻ハリスト正教会幾多の災害にあわれて
復活をとげられ蘇りました。立派な建物です。
地方でも教会の信者さんはあちこちにおられるようです。
夫の実家のある青森県南部「戸来村」(ヘライ)に
「キリストの墓」があるのです。
伝説の村といわれていて「ナンヤドヤラ」という
踊もあるようです。東北でも隠れキリシタンは
いたようです。人々の心の糧として信仰されていたのでしょうか。
今は盆踊りになって受け継がれています。

ボタンとリボンさん、ありがとうございます。

キリストの墓、それも青森に…聞いたことはありますが興味深いものがございます。実は仙台藩は伊達政宗の影響で隠れキリシタンが多い土地柄であり、これについて何か書きたいと思っていた矢先です。仙台藩士の支倉常長は元より、北上川を掘削した川村孫兵衛もキリシタンだったのでは?と言われています。

従って石巻にこのような教会があっても少しもおかしくない気が致しております。県南の丸森(台風19号で川が氾濫した地域)や岩手との県境に隠れキリシタンの足跡が残っています。いっそのこと今年はこれの研究をしてみようかとも考えております。本日も有意義な御意見を賜りました。おはからいに感謝しております。ありがとうございます。

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