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本日は史跡探訪を兼ねて、過去に在籍した幼稚園に行ってきた。用いた交通手段はバイクである。バイクは小回りが利くのでこういうシチュエーションには最適である。在籍してから既に半世紀以上経っているので建物は既に建て替えられ、往時の面影(木造園舎)は全くない。但し裏の山(大年寺山)は保存緑地(伊達家藩主の廟所)になっている関係で残されている。それにしても懐かしい。

1バイク

現在ますみ幼稚園の北側には6車線の国道286号線が通っているが、往時は細い道が一本しかなかったと記憶している。

2国道沿い

往時からのものを必死に探して、玄関のところを見てみた。「ますみ幼稚園」の看板が結構古そうだが、残何ながら記憶にはない;私が在籍したのが1960年代なので、或いはその後に設置された看板なのかも知れない。

3玄関

東側に隣接する脇道(メンテナンスや工事の用途に供する仙台市道と思われる)のほうに入ってみた。位置的には変わってないはずだが、道幅がこんなに広かったのか記憶がない;裏山の大年寺山は小学校一年の時、クラスメイトの誘いで男女二人ずつのメンバーで冒険に行った記憶がある。

4脇道

園庭を斜めから見下ろしてみた。ここでスキップをしてオーバルのコースを半時計周りに回った気がする。スキップの時にはいつも決まった音楽がかけられた。そのメロディーは今でもはっきりと覚えているが曲名がわからないのである。スキップは複数で横並びになってやってもよかった(人数は任意)のだが、親しい友達が居なかった私は、いつもソロであった。(一人っ子のせいで性格は引っ込み思案だった。これは石巻に転向した小学校一年の通信簿にも書かれたことがあった)

5園庭を斜めから見る

ますみ幼稚園の全景をしみじみと眺めてみた。悩みだらけの人生で、たった数年間悩みのなかった頃。その時期こそが自分の幼稚園時代である。期待に胸を膨らませたのは小学校時代も同じだが、小学校に入ってからは自我が一層強くなり、友達と喧嘩をしたりした記憶がある。自分は一年保育だったので、あっという間に過ぎ去った感のある幼稚園時代である。

ところであの頃の先生は今でもご存命なのだろうか?名前も忘れてしまった(小学校の担任の先生の名前はすべて覚えています)が、これも気になったことであった。

6全景

横町挨拶
自分の黎明期とも言える幼稚園時代でしたが、夢多き少年時代の先駆けの頃でもあり、今思い起こせば宝石のような輝きを放った時代でもありました。この頃、もし自分がどんな人間になりたいのか?と問われれば、或いは快傑ハリマオ(少年テレビ映画のヒーロー)という選択肢もあったのかも知れません。(笑)それだけ天真爛漫であったということです。

今は還暦を過ぎ白髪も増え、今は仙台藩祖・伊達政宗公の詠んだ漢詩「馬上少年過ぐ 世平らかにして白髪多し 残躯天の赦す所 楽しまずして是を如何にせん」(意味:馬にまたがり、戦場を駆け回った頃はとうに過ぎて行った。今は戦もなくなり平和な境遇になったが、白髪がめっきり多くなった。然らば自分の余生は天に委ねるのみである。今のこの心情を愉しまずしてどうしたものか…)が当てはまる心境になってきました。

そんな時に自分の幼年時代を振り返ることは意義のある事と捉えています。自分がこれまで生きながらえてきた因果を考えると、多くのことに感謝しなければなりません。本日、ますみ幼稚園を訪問して思ったことは「人間」という言葉の意味(人と人との間に生きるのが人間の極意である)でした。

倫理教育の一つに「人への応対は鏡の自分の表情の如く、自分が笑えば相手も笑う。自分が怒れば、相手も怒る…」というものがありましたが、人間が伊達に年を重ねてはいけません。(儒教ではこれを馬齢を重ねると言います)年を取ったのなら、年をとったなりに、丸くならねばならないということです。

自分は人様よりかなり遠回りしてようやくこの境地に辿り着きましたが、払った代償は大きい気が致します。但しこれを憂いることなく残された余生を自他にとって意義のあることに使いたいと考えております。今宵は美酒に酔い、幼稚園時代を含めてこれまで歩んできた自分の人生を確と振り返りたい所存です。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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7六百横町
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