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昨日、太白区の国道286号線界隈を探索している間に東街道の標柱(ステンレス製)を発見した。東街道と言えば、過去の歴史探訪で亘理町、名取市、仙台市で何度か断片的に出遭ったものの、ピンポイント的にしか理解していなかったので、なぜこんなところが…という思いに駆られた。背後のコンクリート構造物は国道286号線の擁壁である。

1標柱

こちらは東街道と直行する大年寺の門前町である。今はすっかり住宅地と化してしまっているが、この町の歴史を調べれば結構面白いのかも知れない。

2門前町兼東街道

こちらは大年寺山の東端で国道286号がほぼ直角に折れ曲がる地点である。白っぽいコンテナの後ろの細い道が東街道である。背後の山林の一部(麓のほう)は私有林と見られる。山の上には伊達家の藩主の廟所がある。ここは2018年の10月に取材済みである。興味のある方は黄檗宗・大年寺の探訪その1をご覧願いたい。

3コンテナの後ろ

実はこの旧道・東街道は国道286号線とX状に交差している。わかり難いが、画像のすぐ右側に6車線の286号線が走っている。方角で言えば国道から見て西側となる。

4左大年寺原図

Google3D立体画像で東街道(黄色)をご覧頂きたい。実は東街道は古代から中世にかけて出来たと推定される道で実態は朧気なものである。但し古地図や古文書などから、ここにいにしへからの道路が存在したらしいという根拠があり、奥州街道以前の道(その多くは奥州街道のルートとは一致しない)をこう呼んでいるとのことである。ここを通ったと思われる人物を列挙すれば、古くは坂上田村麻呂源義経、弁慶…となり、由緒のある古街道ということである。

5Google3D立体画像東街道

これは国道の東側(一度X状に交わってから離れるところ)の東街道である。歩道の右側に細い道が走っているが、道沿いに密集した民家を見ると如何にも旧道っぽい雰囲気である。実は自分がますみ幼稚園に通っていた際、ここに官舎(親父は役人だった)があり、そこに住んでいたことがあった。

6右が東街道

やや登りとなった坂道。自分が幼少時(幼稚園~小学一年の一学期)に毎日通った道を、その昔坂上田村麻呂源義経、弁慶が通ったと思うと不思議な感覚がする。にわかには信じられない。これが偽らざる気持ちである。

7官舎近く細い道原図

横町挨拶
東街道に関しては参考資料も多く、FC2ブログでも先賢が相当の研究結果を発表しているようです。これからの研究材料としては非常に興味を惹かれる対象ですが、自分としてはオリジナリティを重視し現地取材をしながら、記事を重ねて行きたい所存です。今回はカテゴリーを暫定で「みちのく版街道をゆく」にしましたが、記事が複数になれは「東街道」という子カテゴリーを設置したいと考えております。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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8六百横町
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コメント

奥州街道よりも古い、街道といえば、古代の官道になるのですかね…。。。
坂上田村麻呂や源義経、弁慶が通った道とあれば、大変ロマンを感じます…。。。幼稚園時代にそこを通われていたとは…。。。

URL | boubou ID:-

boubouさん、ありがとうございます。

以前亘理町で脱サラ後に東街道が敷地の一部にあるという土地を買い求め、そこでカフェを開業されたかたにお逢いしました。素晴らしいセカンドライフと思い、感心致しました。
東街道はロマンに満ちています。インスピレーションが働き、今後の執筆テーマに相応しいものを感じ、昨日はペンを執った次第です。

官道には違いないと思いますが、戦の度に軍が通過するので十分な道幅も要求されたと捉えています。源頼朝の名が出てこないのは近くの広瀬川を横切った節がある所以(ここは鎧淵と申しまして、奥州征伐で迎え撃った藤原軍と激闘が展開されたという伝説があります)です。
恐らく大軍が東街道を通ること自体に無理があり、他に通過ルートを模索したということも十分にあったものと察しております。

これから執筆に備えて文献を読み漁りたいと考えております。本日もお志を頂戴しました。おはからいに感謝しております。ありがとうございます。

今日は、

淡路島在住の自分には地理的には分かり辛い場所
ですが幼少の頃に通った道だったのですね、

その昔、源義経や弁慶が通ったとは興味が湧きますね、

URL | 雲MARU ID:-

こんばんは~♪

旧道は、想像力を掻き立てられますね。
どれだけの人たちが行き交ったのでしょうね。
旧道沿いの古い物、大好きです。
道幅やカーブも・・今も残っているところは少ないですね。今後の記事も楽しみにしています~♬

URL | 布遊 ID:-

雲MARUさん、ありがとうございます。

ここが旧道であるのは何となく理解していましたが、歴史上有名な人物が通ったとは驚きました。調べればもっと名前が出てくる気が致します。
本日も真摯なコメントを頂戴しました。おはからいに感謝しております。ありがとうございます。

布遊さん、ありがとうございます。

歴史上の人物については教育委員会の標柱にも書いてあったので信憑性は高いものと認識しております。土木技術や建設機械などがなかった往時は障害物があれば、必然的に道は曲がりくねったものになります。こういう風情に触れるのも旧道歩きの醍醐味と捉えています。

本日も有意義な御意見を賜りました。おはからいに感謝しております。ありがとうございます。

横町利郎様

東街道との遭遇、奥州街道以前の道
古代から中世にかけて出来た道らしい
根拠がありそうですね。歴史上の人物も通った
由緒のある道、これからまだまだ
研究材料となり風情のある街道楽しめますね。
今日は寒い一日になりました。
「早春賦」の歌の歌詞のようですね。

ボタンとリボンさん、ありがとうございます。

今回の探索により、以前は点でしかなかった自分の中の東街道が、ついに線として考えられるようになりました。同時にここを通った歴史上著名な人物も知り、驚いています。金属製の立て札は大年寺の門前町との交差点にありますが、年代を追うと東街道のほうがかなり古いわけで、ようやく往時の町の形成ぶりが時代ごとに微かにイメージできるレベルに達したと捉えています。

これはもちろん執筆欲に繋がるわけで、今後の作品に是非活かしたいと考えております。「みちのく版街道をゆく」というカテゴリータイトルがより現実味を帯びてきた気が致します。おはからいにより、今回も格別なるエールを賜りました。ご配慮に感謝申し上げます。ありがとうございます。

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