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本日は藩政時代に山から切り出した丸太を運んだ木流し堀木流堀)を紹介したい。ここは最下流にあたるところで、間もなく広瀬川と合流する地点である。現在はこのようなコンクリート製の護岸が施されているが、藩政時代は素掘りだったに違いない。

1川側

木流し堀は今では住宅地を縫うように流れている。水運で木材を運ぶのが途絶えて久しいので、現在は一般河川となんら変わりない存在である。野道のような側道が如何にも長閑な印象だが、このような区間はごく一部である。

※以下は太白区まちづくり推進協議会HPより引用

木流し堀は、富田付近の名取川から入れた水を広瀬川まで引く約6キロメートルの水路である。仙台藩が家臣に支給する燃料の丸太(間太)を運搬するために造られ名取川水系・ 二口近くの森林を輪伐し、初冬から三月にかけて流したとされる。


この時代の流通の主流は水運だっただけに理にかなったものだが、築造に当たっては、多大な手間と時間がかかったようだ。


2西側

これは取水口側の航空写真である。取水は名取川水系の新笊川からとなっている。

3取水側航空

これは広瀬川との合流点である。下流側はほぼ旧道最上街道に沿って流路を刻んでいる。

4広瀬川合流地点航空

横町挨拶
時代が進んで今となっては木材を運ぶことはなくなりましたが、藩政期は重要な役割を果たしたのが仙台の木流し堀です。それにしても、仙台藩が家臣に丸太を支給していたことには驚きます。この時代は丸太は燃料であり、抱えた家臣の給金代わりにも使われたものと察しております。今回はさわりの部分のみでしたが、これを機会に郷土史の研究テーマの一つに加えたい所存です。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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