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本日は昨日約束した仙台の古戦場 鎧渕のことをお伝えしたい。ここは太白区根岸の国道286号線(6車線)の直角カーブである。四叉路の交差点の歩道にはこのような石柱が立っている。南北方向には根岸(広瀬川の河岸を由来とした地名と思われる)、東西方向に宮沢である。ほぼ正面に架かっている橋は宮沢橋である。

1石碑

宮沢橋右岸(西岸)を上流側から眺めてみた。橋の架け替えに伴う工事が行われていた。工事の説明版によると、(仮称)新宮沢橋は現在の宮沢橋よりも十数メートルほど上流に架けられるようだ。今回は橋本体の工事でなく、橋建設に伴う護岸側の工事と思われる。

2宮沢橋工事中

今度は宮沢橋を下流側から眺めてみた。工事区間に立ち入りは出来ないので、橋の上から見てみると今回の工事で「史跡 鎧渕」のステンレス製の立札が撤去されたようだ。

3鎧淵から下を望む

現在(と言っても二三年前)の鎧渕周辺のGoogle3D立体画像をご覧頂きたい。この地点は東街道の東西ルートの分岐点でもある。鎧渕の辺りで、藤原征伐に向かう源頼朝軍(大軍を率いたのは千葉常胤か?)とこれを迎え撃とうとする藤原泰衡との衝突があったのは文治5年(1189年)8月12日のことであった。

この後、私は流れから言って、圧倒的勢力を誇る源頼朝軍(実際は頼朝家臣団)の多数がそのまま広瀬川を渡って東街道の東ルートに向かったものと推察する。(西ルートを行った場合は鹿落坂という難所が控えている為)頼朝軍はその後鞭盾のあった榴ヶ岡を抜け、その日のうちに多賀城に達したという。(三原良吉広瀬川の歴史と伝説』より)

4現在の鎧渕Google3D立体画像

昭和期と思われる航空写真(上記とほぼ同じ方向から撮影)をインターネットから借用した。切妻の屋根の建物がいっぱい並んで建っているが、どこかの企業だろうか?往時は大動脈の国道286号線が走っておらず、周囲には水田も見られるようだ。現在の国道は大年寺山を囲んだ赤の曲線の下の辺りを通っている。宮城県農業高等学校~宮沢橋にかけての区間が鎧渕である。

5昭和期の鎧渕

左岸側から鎧渕を遠望してみた。画像左側の川面から積まれた黒いものは、今回の工事に供する土のう袋である。今回の工事が古戦場 鎧渕の中で行われるのをおわかり頂けるアングルと察している。

6鎧渕を対岸から望む

これが工事が行われる前にあったステンレス製の立札である。今回の工事が終わってから別な場所(同じ場所だと新宮沢橋の真下になってしまう)に立て替えられるのだろうか?仔細は不明である。

7鎧淵標柱

横町挨拶
どんどん開発が進み、昔の古戦場跡も改変され、往時の面影がなくなって参ります。これは定めとは言え、郷土史家目線で捉えればとても残念な気がします。私に出来るのは、ブログで少しでも昔の鎧渕を紹介し、後世に伝えることです。現在存命の郷土史家はアナログ世代が多いだけに、これをデジタルとして保存することに自分の使命を感じます。

今回記事を書くにあたって参考にした文献は郷土史家・三原良吉氏(1897生まれ~1982没、昭和3年河北新報社に入社し論説委員出版局長などを経て、昭和5年に仙台郷土研究会の結成に参加。退職後は宮城県史、仙台市史の編修に関わる。)著作の『広瀬川の歴史と伝説』でした。

この著作は今でも仙台市図書館で借りられますが、発行後41年も経ち、アナログ媒体の定めである劣化(色褪せ、劣化)は免れないと考え、自らのブログでデジタル化して、後学の為に残したい所存です。この記事がいつしか役立つことを願って止みません。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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8六百横町
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