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本日は昨日(2月15日)に訪れた山元町のアップルロードについて紹介したい。本来ならば東街道と言いたいのだが、東街道は平安期~鎌倉期にかけてできた道であり、その多くが朧なものとなっている。亘理郡の東街道の経路をおいかけた資料として「皇国地誌亘理郡付図」(皇国地誌亘理郡附図とも)というものがあるが、これとて明治初期の編纂ゆえ、参考程度とするべきである。図の中央やや左寄りに注目「鷲足」、「小平」、「大平」という地名が読み取れるが、これは現在にも残っている地名である。この頃の亘理郡は様々な村落から成っていたが、現在の亘理郡は亘理町と山元町(山下町と坂元町が合併してできた町)の二町となっている。

※赤線が東街道、青線が陸前浜街道(国道6号線)である。

皇国附図

ここでお断りしておくが昨日訪ねたのは南限が鷲足地区であった。常磐道山元ICから数百メートルほど南に行った辺りである。ここからアップルロードに沿ってバイクで北進することにした。鷲足地区から東側を望んでみた。太平洋が眼下に広がり雄大なロケーションである。東街道を通った昔人も亘理郡においては、時折このような雄大な景色を眺めたことであろう。

1鷲足地区から6号線方面を望む

鷲足地区におけるアップルロードの北側のアングルである。立札のMIGAKI HOUSEなる施設(宿泊や食事が出来る)が気になったが、東街道とは関係なさそうなので割愛する。

2鷲足のアップルライン

二百メートルほど進むと神社があった。鳥居こそ新しいが、由緒がありそうな神社ゆえ、階段を登ってみることにした。

3諏訪神社鳥居

杉木立からは木漏れ日が差し、神々しいものを彷彿とさせる。

4諏訪神社参道階段

屋根は葺き替えられているものの、なかなか古そうな風情である。


諏訪神社由緒(宮城県神社庁より引用)

土御門天皇建久9年(1198)3月17日或は文永年中(12641274)の勧請と伝えられ、もと鷲足屋敷に御鎮座せられたが、後現在の地に移社したといい、俗に諏訪大明神と称した。明治2年2月現社号に改められ、同6年2月村社に列せられた。境内社愛宕神社である


では鷲足屋敷が一体どこにあったのか?これは今後の研究課題としたい。


5諏訪神社社殿

諏訪神社を出た後、再びアップルロードを北に向かう。大変長閑な田舎道であるが、阿武隈山地の麓の近くを走ると言っていいようだ。

6大平に入ると雄大なロケーション

Google3D立体画像で鷲足~小平~大平地区をご覧頂きたい。

7Google3D立体画像諏訪神社

見事な榧(かや)の大木だが、場所は真言宗智山派明光院の境内である。

8大榧全景

樹齢は約700年で、西暦で言えば1300年頃で鎌倉後期のものと思われる。源頼朝の奥州征伐(頼朝軍の最前線は千葉常胤に委ねられる)が1189年(文治5年)のことなので、少なくともこの乱を見た歴史の生き証人ではないようだ。榧の木に雌株と雄株があるのは初めて知ったが、この木は雌株という意味なのだろうか?

9大榧説明書き

横町挨拶
昨日も述べましたが、次回の文芸誌「みちのく春秋」春号には「東街道をゆく」を掲載したいと考えております。今はそれに際しての基盤作りとなります。亘理図書館で関係資料の文献を調べ、コピーも取りましたので、後は力仕事となります。それにはモチベーションが欠かせません。歴史ものに取り組む際は単なる羅列でなく、取材を通じて自分が何を感じたのかを随所に織り交ぜないと作品とは言えません。このことを脳裏に叩き込んで記事を更新して参りたい所存です。

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10六百横町
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