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歴史エッセイ「佐沼城玉砕」
佐沼城を訪ねたのは五月の連休中のことである。司馬遼太郎は自著の『馬上少年過ぐ』の中で、政宗の事を梟雄(残忍で強かなこと)と呼んでいるが、自らの策略がしくじりに終わった時の口封じに対して行われた仕打ちがそう言わせしめたと私は解釈している。


天正18年(1590年)、伊達政宗が豊臣秀吉から北条征伐の命を受けた時、二十四歳の彼の心情を推し量れば、恐らく激情が走ったに違いない。「成り上がり者の言いなりになってたまるか」くらいの気概があったことだろう。但し、小田原城が二十万を越す大軍で取り囲まれた際、秀吉へ反抗心を露骨に表すことが滅亡に繋がると悟った。それからの彼の取った行動は鬼神の如く速かった。この時、既に死に体となりつつあった大崎や葛西は、とてもこの速さについて行けなかった。


参陣に遅れたものの、何とか体裁を繕った政宗はぎりぎりのところで改易を免れた。これに対して大崎と葛西は領地を没収され、事実上の滅亡となった。その後、大崎、葛西の旧領土には木村伊勢守義清と息子の清久が派遣された。木村父子は新領主になるにはあまりにもかけ離れた人物であった。彼らは圧政を行い、にわか仕立ての家臣たちが領内で狼藉を働くに至った。もう我慢がならぬ…こうして大崎、葛西の浪人が主となって怒りの矛先は木村親子に向けられた。

この騒ぎは秀吉の耳にも入り、浅野長政や蒲生氏郷が動いた。政宗は佐沼城に立てこもった木村親子を救出したが、これは政宗の一人芝居だった。実はこの一揆を仕組んだのは政宗自身だったのである。木村親子が救出される前に、秀吉のもとに政宗の謀反を示す書状(伊達の祐筆が漏らしたもの)が送り届けられた。これで並みの武将なら浮き足立つことだろうが、政宗には不敵とも言える天性の図太さがあった。


上洛を命ぜられ、秀吉の前で喚問を受けた時、己の策略を言い逃れるための弁舌(書状が本物なら花押の鶺鴒の目の部分に針で穴を開けていると主張し、一揆を煽動した証拠とされる密書は偽造)も巧妙ながら、悪びれた様子を少しも見せることがなかった。秀吉は恐らくこの嘘を見抜いていたのであろうが、表面上は赦すことにした。政宗の立ち回りぶりを見て、殺すには惜しい男と思わせたのかも知れない。


翌年政宗の矛先は篭城していた多数の者に向けられることになる。秀吉に忠誠を示すには、情けなど無用だった。政宗軍の刃先は城内に立てこもった旧葛西・大崎の屈強な侍のみならず女子供にも向けられた。総攻撃が始まったのは7月1日だったが、たった二日で落城した。この時女子供に至るまで多くの者が撫で斬りにされたという。


堀で囲まれた佐沼城跡の城内に入った。本丸のあったとされる辺りには、短い草が生い茂り、俄かにはここで凄惨な殺戮が行われたという実感は湧かなかったが、成実日記(伊達成実の日記)には「家中百姓三千余人、本丸に於いて打ち殺し候。城中の死骸あまりにも多く、人に人重なり、土の色は何も見申さず候」と書かれている。この時佐沼城で籠城に及んだ者は葛西系浪人、大崎の残党、古侍、百姓、郷侍など、その数は一万人以上に上ったという。(紫桃正隆著「みやぎの戦国時代 合戦と群雄」より)然らば、残りの七千人近くが逃亡に及んだか、激流渦巻く迫川に身を投じたのではないだろうか?

※雑草に覆われた本丸跡

佐沼城の傍に浄土宗大念寺があるが、その寺の近くの丘には首壇がある。首壇は小高い丘で前面道路との比高は約十メートル、すぐ傍には耕地も広がっている。首壇と彫られた石碑を前に、私は深々と頭を垂れ犠牲となった人々の冥福を祈った。

※首壇

最後に佐沼城と目と鼻の先にある伊達政宗陣所跡を訪れた。比高七~八メートルの小高い丘が政宗が陣を張った場所である。丘の頂には「貞山公営址碑」が立てられている。

ここから見ると西館(かつて佐沼城の一部だった部分)はごく目の前にあり、鉄砲隊率いる伊達軍に睨まれた一揆軍の恐怖は想像に難くない。

※伊達政宗陣所跡から佐沼城西館跡を望む

生き残る為には手段を選ばない冷徹ぶり。郷里の英雄を悪く言いたくないが、政宗は正に梟雄であり、気性が激しく、徹底した合理主義者でもあった。


午後からは天候も回復し周囲の木々は薫風にそよぎ、五月晴れに相応しい日和である。この天候とは裏腹に、何か胸のうちに重いものがこみ上げてくる今回の佐沼城訪問だった。

※佐沼城南部より伊達政宗陣所を望む

ミック挨拶
本日は去る5月5日に掲載した拙ブログの記事「伊達政宗が口封じの為に行った一揆弾圧」(ドキュメント)を基に、加筆修正を加え歴史エッセイとしたものです。戦国時代を生きるには、伊達政宗とて無慈悲にならざるを得なかった。そんな言葉で片付けるには余りにも凄惨な一揆制圧でした。政宗はこの他にも多くの口封じ(須江山に於ける葛西残党狩、関ヶ原の戦い以後の和賀忠親の謀殺など)を行いました。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。


コメント

No title

先の、一揆弾圧のブログ記事を、立体的にエッセイにまとめられたのですね…。。。

若き日の、残忍なまでに合理的な政宗が、よく描かれていますね…。それが、後世長く生きた政宗に繋がるのですね…。。。

URL | boubou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

この時代は、手段を選んでいれば、生き残れない時代だったのでしょうね。
実際に、史跡を訪問され、感慨深いものがあったのではないでしょうか~

URL | 布遊~~☆ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミック様こんばんは
今の時代に生まれて良かったですね

犠牲となった人々に冥福を祈りますhttps://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s376.gif">

URL | ともたん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> 62まきさん
次に権力を握る人物を的確に見極め、迅速に反応する。伊達政宗ほど巧妙に立ち回った武将も珍しいですが、こうした傑物が仙台62万石という大藩を形成するに至ったと考えています。

或る歴史作家(H氏)は幕末時、伊達政宗公のような人物が居たら、仙台藩は賊軍にならなかっただろうとまで述べています。政宗公は郷土の英雄ですが、時として生き残るために非情に走らざるを得なかったと認識しております。

今回もお励ましを頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> 不あがりさん
歴史エッセイを仕上げる行程は彫刻制作とも似ています。先ずは手斧を使って荒削りを施し、その後に細部の仕上げに入る。何度かの試行錯誤を経て、歴史エッセイ執筆にはこの工程が不可欠と実感しております。

但し、作品にはしっかりとした骨子がなければならない。これがないとただのレポートに過ぎない。これを踏まえて今回は自分の私見を相当入れてみました。
①政宗が秀吉に抱いた対抗心
②今は小川に毛の生えた程度の迫川は、この時まだ改修工事が施されず激流であったという根拠を得た
③引き算して得られた数字の7000名(篭城した一万余から討ち取られた者の数を差し引いた値)は逃亡だけでなく、仕方なく激流(城の東北部には迫川という激流があった)に飛び込まざるを得ないような生き地獄に近い惨状だった

このあたりは自分の想像にございます。
今回も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> 暇人ityさん
自分は歴史ものに取り組む際、図書館で文献も調べますが、執筆欲を高める意味で、既に作品化された「独眼流政宗・大河DYOU TUBE版」も見ます。ドラマということは、もちろん想像も入るわけですが、
①大筋を掴む上で有効
②同じ仙台藩士の中でも侍社会特有の序列がある
③侍言葉を聞き、侍の心に自分が近づくようにする
を心掛けています。これに現地取材が加われば、ペンは自ずと進むわけで、今回もこのパターンでの執筆となりました。

今回の取材を通して戦国武将として仙台藩の基礎を構築した政宗公はやはり傑物という印象を持ちました。

今回もお励ましを頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> joeyrockさん
臨場感(リアリティ)という感想を頂き痛み入っております。歴史もの云々を問わず、作品で臨場感を如何に出すか、日々模索しています。それには当事者(一揆を起こした側、制圧しようとした側)に成り切る必要がございます。

前回との違いは
①秀吉に対する政宗の謀反
②篭城した彼らの北東部には往時激流渦巻く迫川が流れていて、残りの三方を囲まれれば逃げ場がなくなる
etcにございます。実は篭城軍の反撃もすさまじく、ここで以前エッセイに紹介した佐藤為信(相馬から伊達に寝返った武将)が兜の八幡座(髷を通すための穴)から弾丸を打ち込まれ討ち死にをしています。(紫桃正隆氏見解)

歴史と言うのは各々の史実を解明することで点から線になり、これの繰り返しで、やがては面や立体に移行しますが、取材を経て改めてこれを実感しております。

今回も格別なる追い風を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> boubouさん
郷里の英雄である伊達政宗公を悪く言うのは気が引けるのですが、先賢の郷土史家・紫桃正隆氏(故人・1921~2008)も全く同じような暗く、煮え切らない気持ちになったのでは?と察しております。

史実を文章にする。これは時として辛い気持ちにもなるものです。尊敬する政宗公がこのような一人芝居をした。否、せざるを得なかったことに戦国の世の非情さ、弱肉強食の法則を重ねています。

立体的との仰せ、駄文に対して最大のお褒めの言葉と認識しております。今回も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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おはようございます。
佐沼には割と近いので、博物館に行くこともあり、城跡は分かっておりましたが、政宗陣跡は知りませんでした。
佐沼の落城は漠然とは分かっていましたが、ミック様の本記事等により、整理された様な気が致します。

URL | motoyoshi ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> 布遊~~☆さん
如何にしてモチベーションを絶やさないか、日々模索する某ですが、やはり現地取材から得られることは大きいですね。参考文献も偏らないよう様々な角度から史実を見定めたいと考えています。

本日も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> ともたんさん
史跡を訪れる際、時としてやるせない気持ちになることがございます。今回はこの首壇に際し重い気持ちにならざるを得ませんでした。

郷里の英雄も時として冷徹にならなければなかった。ここに戦国の世の非情さを重ねています。今回も格別なる追い風を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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こんにちは、

若い戦国武将の非情とも思える行動や秀吉の前での喚問にも
悪びれた様子を少しも見せること無く、さすがの秀吉も
何かを賭けて見たくなる程の度量が見えたのでしょうね、

戦国時代を生き抜く手段に現代の常識では計り知れません、

URL | 雲MARU ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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こんにちは

生き馬の目を抜く時代
ふつうの感覚では生きていけなかったのでしょう。
そんな時代に生まれ合わせなくて良かったとかんじます。

URL | つや姫日記 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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激動の戦国時代は綺麗事では済まされない
生き抜くために非情とも思える事をしなけらば
ならないのは悲しいことですね。

URL | ことじ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> motoyoshiさん
貞山公営址碑は漢文で書かれ、文学博士の大槻文彦氏と旧城主の亘理氏との連名にございます。
もう少し新しい石碑もあり、こちらは迫町(登米市になる前)のものでした。方角的には佐沼城西館と佐沼中学校の間の区間となりますので、すぐわかると思います。

今回も格別なる追い風を頂戴しました。今回も格別なる追い風を頂戴しました。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> 雲MARUさん
飛ぶ鳥落とす勢いの天下人・秀吉の尋問に際し、並みの武将なら、参るところですが、ここが政宗の真骨頂(逆境に強い)とも捉えています。

作品の趣旨に迫るお言葉を頂戴し痛み入っております。今回も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> つや姫日記さん
このエッセイの肝は、一揆が何故起きたのかを読者様に知って頂かねばならない点と認識しております。従って字数に限りがある中、相当の字数を説明に取られる。逆に言えばどれとどれを端折るかということになります。

彫刻の制作行程に置き換えれば、粗削りを終了し、そろそろ最後の仕上げになる頃と認識しております。但しこの段階で力を抜くとそれなりのものとなる。改めて、気を引き締め最後の磨き作業を施したい所存です。

今回もお励ましを頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> ことじさん
「神仏を恐れぬ、常軌を逸したものがある」とは独眼流政宗の中で伊達輝宗が嫡男の政宗に対して言ったセリフにございます。

非情とも言える掃討作戦を振り帰ると、このセリフの意味がよく理解できる気が致します。

今回も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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実際に史跡を周られ時間と手間をかけられ
このエッセイをまとめあげようとしていますね。

戦国時代を生き抜くために大変な激動だったのかもしれません。もうすぐエッセイが仕上がりますね。
お疲れ様です。昨日も丁寧なコメント
ありがとうございます。

URL | ボタンとリボン ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> ボタンとリボンさん
某は自分の記事を置いてでも、ブロ友様の記事を訪れ誼を通じたいと思っています。但し今宵は少しばかり酔っています。然らばそれを踏まえ己を抑え、平時と変わることなく、御自身から寄せられる厚誼を確とお受けしたい所存です。

本日もお励ましを頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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