FC2ブログ
昨日、私は仙台市宮城野区岩切地区を訪ねた。目的は或る館跡の探訪である。例によって紫桃正隆著『仙台領内古城・館』の第4巻を参照の上での訪問である。マイナーな城跡の探訪では入念な下調べが欠かせない。車を止めるスペースはない場所も多いので、ほとんどはバイクでの訪問となる。今回の取材地は仙台市郊外であったが、道が狭いようなので、万全を期す意味でバイクを使った。道路左の林が目指す目的地である。

1遠望

これがターゲットの稲荷館跡である。現在は稲荷神社(矢崎神社)が鎮座している。

2西側より

Google航空写真で稲荷館跡をご覧頂きたい。赤〇の所が稲荷館跡である。周囲には長閑な田園地帯が広がっているが、近年は仙台市のベットタウンとなり、農地転用の宅地化が進んでいる地域である。

3Google航空写真

この鳥居は断面が角形で非常に珍しい。柵とともに朱色に塗られ、結構見栄えがする。この辺りは太平洋戦争以前は10メートルほど土が盛られていたというが、今はフラットで往時を偲べるものはほとんどない。平城ゆえ、防御力を上げるために周囲には堀が巡らされていたものと思われる。

4正面より

稲荷神社(矢崎神社)はこじんまりとした神社である。境内には江戸時代の祠に交じって、梵字の刻まれた板碑があることから鎌倉時代のものと思われる。

5本殿

境内にはこのような説明書きが設置されていた。結構新しい説明書きなので、紫桃正隆氏が取材した頃(昭和40年代と思われる)はなかったと思われる。

6矢崎神社

今昔マップで稲荷館の位置を確認して頂きたい。紫桃正隆著『仙台領内古城・館』の第4巻によると、「鶴ケ谷(この地より西に2キロほど行った所)に住んだ留守氏(中世豪族で、後に伊達氏家臣に組み込まれる)の重臣である兵藤一族(兵藤大隅信俊)は元和・寛永の頃、足軽頭として岩切の今市に移り、野谷地の開墾、大井堀の掘削に挺身し、同地の’開墾の祖’として仰がれるに至った。今市の耕田寺には大隅の墓がある」とされる。

7今昔マップ稲荷館城

上の地図を見ておわかり頂けるものと察しているが、実は稲荷館の前に位置するこの道路は結構新しい道路であり、今昔マップを見る限り、昭和初期以前には存在していないのである。この道路を真っすぐ進むと兵藤大隅信俊の菩提寺である耕田寺がある。

8東側今市の部落遠望

横町コメント
実はこの後、兵藤大隅信俊の菩提寺の耕田寺に行って住職の奥様と思しき方と話を交わして参りました。奥様によると耕田寺に兵藤大隅信俊の墓があるのは間違いないようで、墓石(今は芯抜きされたものとの仰せ)まで見せて頂き、感慨深いものを感じて参りました。(この時カメラの電池が切れて墓石を撮影できませんでした;)

耕田寺の前を通る旧道(旧利府街道)がひょっとして東街道なのか?という疑問が湧き、再訪の必要性(今度こそ信俊の墓石の写真を撮る使命感)を強く感じて参りました。近いうちに是非再訪し、思いを遂げたいと考えております。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。
  

9六百横町
関連記事

コメント

こんばんは~♬

鮮やかな朱の鳥居と柵は遠くからでも目立ちますね。
やはり新しい地図では、道が整然としています。
見比べると面白いですね。
広々とした心癒される風景でした。

URL | 布遊 ID:-

調査、順調に進んでいる由、ご同慶の至りです…。

URL | boubou ID:-

布遊さん、ありがとうございます。

自分は常々歴史はマイナーなものほどはまる傾向が強いと考えています。今回の稲荷館は紫桃正隆著『仙台領内古城・館』でも情報量が少なく、特に城主の兵藤大隅信俊のことがよくわかりませんでした。
実はこの後で菩提寺のお寺のかたと話をした際。岩切地区の郷土研究をされているかたがたが過去に訪れ、その成果を文献に残されているという情報をお聞きし、次に取るべき指針(図書館で岩切地区の歴史を調べる)を得ました。

カメラの電池が切れてしまったのは残念でしたが、是非近いうちに耕田寺を再訪したいと考えております。お陰様で、今回も格別なるエールを賜りました。おはからいに感謝しております。コメントを頂きありがとうございます。

boubouさん、ありがとうございます。

取材の途中でカメラの電池が切れたのは痛恨でしたが、耕田寺には是非再チャレンジしたいと考えております。本日も激励の言葉を頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

こんにちは、

探索場所は比較的に新しく作られた道路だったの
ですね、
バイクでの移動は小回りも効き駐車スペースも
気にせず便利ですね、
朱色に塗られた策と赤い鳥居が目をひきますね、

URL | 雲MARU ID:-

雲MARUさん、ありがとうございます。

城主の兵藤大隅信俊ですが、この地区ではかなり有名なかたと解釈しています。一説には彼がこの町(今市)を起こした発起人とのようで、生前の人となりが気になります。
もう一つの関心が彼の菩提寺(稲荷館とは400メートルほどしか離れていません)のある耕田寺が東街道と思しき旧道に面していることです。一つの地点を調べて他のことに興味が波及する。まさに歴史探訪の醍醐味と言えます。

是非この追い風を活かして新たな執筆に繋げてゆきたいと考えております。おはからいにより、今回も格別なるエールを賜りました。おはからいに感謝しております。ありがとうございます。

おはようございます。
利府街道の脇にこんな歴史スポットがあったのですね。

昔の地図に現在の神社正面の道がないということは、鳥居や社の向きも違っていたのかもしれませんね。そう考えると非常に興味深いものがあります。

暇人ityさん、ありがとうございます。

兵藤大隅信俊なる人物は初耳でしたが、地元岩切では結構著名な人物であるようで、今市の集落形成においては創始者的な立場であったと認識しております。伊達政宗とも密接な繋がりがあったようで興味深いものを感じています。

今昔マップから窺い知れることですが、南側の道路は農作業用のもので昭和期に造られたようです。太平洋戦争以前の高く盛り土された画像があればとくダネものなのですが…次回は菩提寺の耕田寺を中心に訪ねたいと構想を練っています。岩切公民館などで、郷土史に詳しいかたにお会いするのもカギと捉えています。

本日も有意義な御意見を賜りました。ご配慮に感謝申し上げます。ありがとうございます。

横町利郎様

仙台市郊外の赤い鳥居と柵、目立ちますね。
稲荷神社、鎌倉時代から祀られていたのですね。
歴史を感じます。兵藤大隈信俊、伊達政宗と
密接なつながりがあった人なのですね。
カメラの電池切れ、残念でした。
又訪問くださいね。

ボタンとリボンさん、ありがとうございます。

訪問に先立ち、紫桃正隆氏著『仙台領内古城・館』の第4巻を見てピンとくるものを感じました。近くの旧道(利府街道)が東街道と重なるものを感じたからです。兵藤大隈信俊は地元の岩切では著名な人物のようで、是非文献で調べたいと考えております。

それだけに耕田寺には近々再訪したいと捉えています。公民館とのセットも視野に入れています。おはからいにより、本日も激励の言葉を頂戴しました。ご配慮に感謝申し上げます。ありがとうございます。

コメントの投稿

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)