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ルーツ調べに取り組んでそろそろ5年経つ。当初は北上川河口である石巻にばかり着目していたが、親戚のA氏から驚くべきことを知らされた。それは祖父方のルーツは岩手県から北上川に沿って南下し、石巻に根付いたということである。しかも伊達政宗の命令で、北上川の大改修工事についた川村孫兵衛重吉(旧毛利家臣ながら、関ヶ原の戦いで浪人となり、伊達政宗に抱えられた技術者)の下で実際の工事に携わったというのである。この番組を見ると、川村孫兵衛重吉の果たした実績が非常に良く理解出来るはずである。

川村孫兵衛重吉と我がルーツとの関係は私に新たな意欲を抱かせるものとなった。昨年の2月には石巻市役所に足を運び、1700年代後半生まれと思しき6代祖父(自分から6代前の人物)の名を突き止めたものの、牡鹿原(現・石巻市大街道)開拓で広い土地を獲得した曽祖父との因果がなかなか結びつかず、一時は諦めかけていた。そんな自分に名案が閃いた。それは先祖が降ってきた北上川流域を遡れば、我がルーツの足跡が偲ばれるのでは?というものだった。

思い立ったが吉日、行動力こそは自分にとって少ない取り得の一つである。本日早朝に向かったのは郷里・石巻の北上川河口である。写真を撮影した地点と目と鼻の先に網地島(あじしま)ラインという船の発着所が出来、既に営業を始めているようだった。我がルーツと直接関係はないが、郷里石巻が例え少しずつでも、復興してゆくのを見ると、胸の熱くなる思いがする。

昭和6年に石巻に来た高村光太郎はこの川が人工的に掘られたものであることを知り「昔のやつは凄まじい」という言葉を残している。それから87年が過ぎた今でも、自分は高村光太郎の語った印象と全く同じことを、改めて心に抱くのである。

ところで、本日撮影した写真は200枚以上、非常に濃い内容なので、今回はダイジェストとして皆様にお伝えしたい。

河口から2キロ近く遡ったところに住吉小学校(1年~3年まで自分が在籍した)がある。実はこの小学校は米蔵の跡地に建てられた。上流から平田船で運ばれた米はここで一旦降ろされて蔵に納められた。平田船は百石~百八十石積み程度で、千石船(2500俵の米を積載可能)が150トンほどの積載であった。平田船は15トン~30トン弱の積載能力なので、米を一度に250俵~450俵ほどの米が積載出来たと思われる。

次に訪れたのは袋谷地(川に沿って袋状に土地が半島のように出っ張った地区)である。1857年、35人の伊達の足軽が移り住み谷地(湿地帯)を開墾し田畑に変えたとされる場所である。大変残念ながら、往時の面影は殆ど残っていなかった。

本日、私が辿ったルートをヤフー地図で確認頂きたい。
赤:石巻市袋谷地地区
黄色:日高見神社(石巻市桃生町)
緑:葛西氏本城・寺池城跡(登米市)

ここは飯野川と言って北上川の流路が二つ(雄勝に注ぐ追波川、石巻に注ぐ旧北上川)に分かれる場所である。郷土史家(中世大名葛西氏研究の第一人者)の大家である紫桃正隆氏は飯野川高校で教鞭をとった。そう思うとこの地点を素通りする気にはなれなかった。

 みちのくの大地-自然と歴史140823 
リンク動画について
これはドローンを駆使して撮影した飯野川近辺の北上川である。合流したり分かれたり、非常に複雑な流路だが、これは藩政時代の意図的な土木工事が生んだ産物と捉えたい。

次に訪れたのは石巻市桃生町の日高上神社である。(住所:石巻市桃生町太田拾貫壱番73)
以下、「来て見てけらいん いしのまき」より引用

日高見川(北上川)の川神を祭った原始信仰に由来する古い式内社で、竹内宿禰の奏言による日高見の国名をとって社号とした。奈良朝時代になって蝦夷討伐の拠点として桃生城が構築され、川神を祭その守護神として崇めらた。また、源義家が身をかくし、戦禍をのがれたと伝承される欅の大樹が神木として現存している。

この説明を聞けば、「きたかみ」という読みは「ひたがみ」が訛ったものらしい。石巻市桃生町の日高上神社は北上川の川神を祭るに相応しい威厳を感じる神社である。

本日最後に訪ねたのが登米市である。ここは中世大名葛西氏が拠点を構えた寺池城址である。内容が多すぎてとても紹介し切れないゆえ、詳細は後日紹介したい。

寺池城址の近くには松尾芭蕉が1689年に一宿したとされる地点がある。然らば稀代の風流人・芭蕉は川の傍に止宿したことになる。事情もあったのだろうが、如何にも風流人に相応しい場所ではないだろうか?

横町挨拶
いまだに興奮状態覚めやらぬ本日の北上川流路を辿る旅にございます。実は本日は登米市の登米懐古館で佐藤尚一氏(登米市学芸委員)とお会いしました。奇遇にもこのかたは自分の住吉小学校の先輩で、しかも石巻のかたでした。彼は私の所属している「石巻千石船の会」に是非入りたいとも述べていました。彼の家は商家ですが、祖は仙台藩士(数代遡ったルーツに男子が生まれず、仙台藩の侍を養子に迎えたとのこと)の血が流れているとのことで、自分のルーツに重なるものを感じました。

佐藤氏には是非もう一度ここに来て欲しいと言われました。勿論私はそれに応えたいと考えています。その暁には自分の書いた作品(仮称)「北上川と我がルーツの関わり」を持参し、披露したい所存です。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。


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