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本日は去る3月22日以来、懸案になっていた宮城野区岩切地区の再訪を果たした。目的は藩政時代の初期にこの地区の開拓に功のあった兵藤大隈信俊(通称:兵藤信俊)を偲ぶことである。その他、東街道に絡むスポットとして東光寺(下記Google3D立体画像の上部参照)などを順次バイクで回った。東光寺の門前町として開けた今市の町を南北に貫く道は石巻街道とも旧利府街道とも呼ばれるが、私の中では東街道(仮説)と認識している。それはこの道路に燕沢遺跡という複合遺跡(縄文~弥生~古墳~飛鳥~奈良~平安)が隣接しているからである。

今回紹介するスポットをGoogle3D立体画像で確認して頂きたい。
黄色:稲荷館跡(兵藤大隈信俊の居城跡・現稲荷神社)
赤:曹洞宗耕田寺(兵藤大隈信俊の菩提寺)

1Google3D立体画像

3月22日にも紹介した稲荷館跡(稲荷神社)である。今回は東側から撮影した。今は周囲に住宅が迫ってきていて、住宅地と農地の境目に位置すると言っていい。今はすっかり平坦地となっているが、神社の境内の説明書きには太平洋戦争あたりまで、十メートルほど土が盛られていたという。或いは現在畑地となっているところに昔は土が盛られていたのかも知れない。

2畑越し

これは稲荷館跡の標柱と思われるが、残念ながら表面の劣化により、文字がほとんど読めない。仙台領内古城・館第四巻によると、郷土史家の紫桃正隆氏が訪れたころ(昭和四十年代と思われる)は周囲に民家もなく、ぽつんと孤立した寂しい場所であったようだ。

3標柱

この林に近づいてよく見ると、周囲よりもわずかに土が盛られている(数十センチほど)ことに気づく。或いは以前に土が盛られていた頃の名残なのか?それとは無関係なのか?いずれにしても、館があった頃をイメージするには昔の写真でもない限り難しいようだ。

4境内林西側より撮影

この後、兵藤大隈信俊の菩提寺がある耕田寺を訪ねた。稲荷館跡からは四五百メートルほど東に当たる。震災の被害に遭った本堂は新築されたばかりである。

5耕田寺

左の米粒のような形をした墓石が兵藤大隈信俊の旧墓石である。(今は芯抜きされ、本当の墓所はここから南に2キロほど行った耕田寺の墓地に移されている。)兵藤大隈信俊は岩切地区の生みの親と言ってもいいようだ。

6芯抜きされた墓石

兵藤大隈信俊の概略について説明したい。
留守家旧臣(その後独立して伊達に仕える)の兵藤大隈信俊(1567~1641)は鶴ケ谷から岩切に移り住み、岩切村端郷の原野を切り開き農地を開墾した。更に今市の町場を建設した功を伊達政宗に認められ、寛永二年(1625)には町場住民が一括して弓組足軽に取り立てらた。その後は代々の兵藤氏が代々足軽組頭を勤めた。

7兵藤大隅信俊説明

横町コメント
前回はカメラの電池切れというアクシデントに見舞われましたが、本日は狙いを定めたところに滞りなく取材ができました。この辺りは東光寺という大きな寺の門前町ですが、東光寺には東光寺城という中世豪族の留守氏の麾下に属した余目氏の居城があったとされます。本日は東光寺のほうも見て参りましたので、後日紹介したいと考えております。

本日の最高気温は18度で5月並みの陽気でしたが、コロナウイルス渦の最中、バイクの機動力を駆使しながら感染リスクの少ない史跡探訪が出来たのは願ってもないことでした。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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8六百横町
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コメント

こんばんは~♬

この時期は、こういった場所が安全で良いですね。
また、目的も達せられたようで良かったです。
お寺も真新しくて立派です。
また、東光寺も楽しみにしています。

URL | 布遊 ID:-

布遊さん、ありがとうございます。

昨日の取材を経て執筆へのモチベーションが更に上がった気が致します。場所が場所だけに寺社などでは、バイクは極力目立たないところに止め、歩いて回りました。七分咲きくらいの桜を横目で見ながらの探索は心地よく至福を感じながら、ウォーキングできた気が致します。

歩いている最中も時折ウイルスのことが脳裏を過りましたが、晴れた日の散策は最高ですね。おはからいにより、今回も格別なる追い風を頂戴しました。ご配慮に感謝申し上げます。コメントを頂きありがとうございます。

お早うございます、
稲荷館跡は遠くから見てもこんもりした神社跡と
わかりますね、
耕田寺は新築の立派な佇まいですね、
前回のアクシデントに懲りて今回は良い取材が
出来ましたね、

(横町様にお願い!
雲MARUへのコメント欄からハンドルネームの
クリックだけで此の記事に飛べなくなってるのには何か意図がおありでしょうか?
他のブロ友さんは全て名前のクリックだけで
ページに飛ぶのでコメントも楽くなんですが)

URL | 雲MARU ID:-

雲MARUさん、ありがとうございます。

今回は天候にも恵まれ、良い取材ができました。但し、コロナウイルス渦の折、聞き取り調査はできないと考えました。またバイクは目立たないところに止めて関係者のかたには気を使いました。これからもマナーを守っていい取材をしたいと考えております。

本日も格別なるエールを賜りました。ご配慮に感謝申し上げます。コメントを頂きありがとうございます。
PS:ご質問への回答は貴兄のブログに書き込ませて頂きました。

東街道関連の取材、順調に進んでいるようで何よりです…。
コロナ禍の折には、こういうあまり人が押し寄せない場所を歩くのがよいですね…。

URL | boubou ID:-

boubouさん、ありがとうございます。

県や市から外出自粛要請が出され、週末にできることが限定されて参りました。かと言って家に閉じこもれば運動不足となるし、近所の散歩だけではモチベーションUPとまでは行きません;従って背理法を駆使すれば自ずとこういう選択となります。

晴天も大いなる追い風となりました。自分の調べた限り、この界隈の東街道説は文献にも見当たらず、更なる調査を重ねたいと考えております。根拠となるのは燕沢遺跡ですが、このあたりは後日記事としたいと捉えています。

お陰様で、今回も格別なるエールを賜りました。おはからいに感謝しております。ありがとうございます。

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