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随筆『人間不信からの脱出』

1、人間不信になったきっかけ

かつての自分がそうであったが、うつ病患者の最大の悩みは、「自分が好き好んでそういう状況になっているのでない点を他人に理解してもらえない」ことである。数年前までは、そんなもどかしさを抱えながら勤務していた頃の自分を思い出したくなかったが、定年退職を果たしてから暫く経った今、心の傷も癒え、あの頃の自分をようやく客観できるようになってきた気がする。


東京勤務から仙台勤務に戻されたばかりの頃、車で会社に向かう自分が時間調整のためによく立ち寄ったのがコンビニだった。うつ病患者は寝起き~午前中にかけてが特に弱いのである。会社に行きたくない思いに駆られる自分に鞭打ちながら、いつものコンビニに向かう。今ならカフェで時間をつぶすなど、時間つぶしに困ることなど全くないが、往時の自分はこのような方法しか思いつかなかったのである。コンビニでキシリトールのガムを買うとすぐに車に戻り、座席をリクライニングして、うつろな目をこすりながら、やるせない思いで就業開始時間の10分前まで寝て過ごす。会社には就業時間開始すれすれの時刻に出勤し、タイムカードを押す。これがウイークデーにおける私の日課だった。


休みの日はどうしてもモチベーションが上がらず、食事以外は朝から晩まで寝て過ごした。今ではとても考えられないことだが、一度切り替わってしまったスイッチは容易なことで元に戻らなかった。薬をもらいに心療内科にも通っていたが、藁にもすがる思いだった。パワハラなどという言葉が世に知られてなかった頃の話である。一部の人間を除き、上司を含めた社員の対応は冷ややかだった。「あいつは能力がない、やる気がない…」露骨にそう言われたこともあったし、言葉に発しなくとも態度でわかることも多かった。


「彼はうつ病だから、当たらず触らずそっとしておいたほうがいい」と思った取り巻きも結構居たことだろう。だが、とうの私は心の根底でけしてそうは思ってはいなかった。「光の見えないトンネルから脱出するためのヒントを人から授かりたい」これが本音だったが、そんな言葉など口が裂けても発することができなかったのである。


カウンセラーに相談するという発想すら浮かばなかったわけだが、それに加えて医師の態度があまりにも事務的で冷ややかに思えた。大変残念なことに、東京時代も仙台時代も、主治医はこちらから挨拶してもそれを無視するような医師が多かった。これがその後の人間不信へのきっかけとなったのは事実である。本来ならば悩める患者を救わねばならない心療内科の医師がこのような態度しか取れないのには、ただただ閉口するしかなかった。


これだけでこの医師らに相談することは無意味であり、薬さえもらえばいいという気持ちを抱くようになった…患者には金さえ払ってもらえばいい。医師の冷ややかな態度から、そのような不信感を抱く原因となった。挨拶ができない医師への不信感は、やがて怒りにも変わっていった。それでも往時はとにかく「俺を見捨てないでくれ」と心の中で懇願するしかなかった。今なら「患者が挨拶しているのにあなたはなぜ返さないのですか?」と穏やかな口調で言うのかも知れないが、著しくモチベーションの低下した往時はとてもそのような気になれなかったのである。


時間外労働やパワハラによるうつ病発症、自殺が社会問題になっていったのは2010年前の数年であったが、私の場合はその少し前だったために、周囲に理解されなかった面が多かった気がする。もちろんこれは全部とは言えない。取り巻きの中には「横町さん、体を動かすことを考えられたらいかがですか?ウォーキングはいいですよ」などと暖かい言葉をかけてくれる人も致し、たった一人だけだったが、仙台では人間的に尊敬できる医師にも巡り逢えた。但し、その医師が院長を務めるメンタルクリニックはすごい混み具合で、たった10分の診察を受けるのに3時間近く待たされ、これには閉口し、混まない心療内科(挨拶ができない医師が医院長を務める)に変えざるを得なかった。


以前の企業についてはあまり多くを語りたくないが、公平とは言えない環境(年功序列、年長者への礼節をなおざりにし、職位によって対応を変える挨拶や言葉遣いがまかり通る様)に際し、私はこの企業に際し、医師と同様に徐々に人間不信に陥っていった。ニーチェの言うルサンチマン(弱者が強者に対して抱く怒り、憎悪、糾弾の類)である。この時の悔しさが、その後の病状の変異(うつ状態~躁状態に変わる)に多大な影響を及ぼしたのは今だから言えることである。


2、苦悩の中で学んだこと

そんな中で縋りつこうとする様々な柵を振り払い、何とか定年退職まで漕ぎ着けた。これは定年前の数年前「人を変える前に、まず自分が変わらねばならない」と考え、論語に始まる儒教を学んだのが大きかった。但し、儒教は飽くまで表街道に過ぎず、裏街道(どんな文献にも載っていない、個々の悩み事)まで網羅するものではない。論語を実人生に当てはめるならば、応用(自分なりの解釈)なくしての運用はままならないということである。そんな時に論語を補足する思考として役に立ったのは禅の教えや古今東西の諺である。


中国の諺に「規律には三百の規範があり、振る舞いには三千の規範がある」というものがあるが、これは現代社会にも通用する教えであると考えている。規律はコンプライアンスとも言い換えられ、守って当然のものであるが、振る舞いは極めて朧ともいえる領域のものである。振る舞いには個人の価値観が関与し、バラツキを見るものだが、人付き合いにおける重要な要素であることは違いない。これまでの自分が最も苦手としてきた分野こそがここで言う「振る舞い」であり、見直すべき余地を感ずる領域である。遅いと言われるかも知れないが、現役時代の後半から自分が特に意識してきたことが「正しい振る舞いを身に着ける」ことである。


1マナーとモラル模式図 (1)


定年して、別な企業の世話になることになったが、振る舞いを意識する傾向は更に強くなった。今でも現役時代のことが蘇り「なめられてはいけない」という気持ちが脳裏を過ることがある。そんな時こそ思い起こすのがこのピラミッドである。論語に「君子は争うところなし」という言葉があるが、これには他人と対峙した際、時に巧妙に身をかわすことも含まれる。猛牛の突進を闘牛士のようにひらりひらりとかわす。年のせいで丸くなったのかも知れないが、最近はそのようなスタンスを心掛けている。以前の自分にはドローという観念がなかった。どちらかが勝って、どちらかが負けて当たり前と思っていたのだが、今は時に「勝負預かり」も大いにありと考えているのである。


3、カタルシスの領域へ

そのような思考を心掛けているうちに、以前の自分が抱いていた「人間への不信感」はいつの間にか消え失せ、所詮、人間は多様性の集合体であり、交互の調和を図ることこそが本筋と考えるようになってきた。多くのアクシデントには法則がある。それは問題が起きる前に何らかの予兆が顕在化することである。


私の今の仕事は或る建設会社の安全管理である。安全管理の基本は運転でよく言われる「かも運転」である。ほとんどの場合、事故を起こす前に問題点(専門用語ではヒヤリハットと言われる)が顕在化されるが、この時の当事者の姿勢一つで「こんな大したことない」にもなるし、「次は大事故に繋がるかも知れない」という姿勢にもなる。自分が目指すのはもちろん後者の思考である。


これは対人関係にも言える。多くの場合対人関係に破綻を来すことには前触れがある。その前触れを真摯に捉え、破綻しないにはどうするかを模索する。当事者との直談判が難しいならば第三者を通す方法もあるだろう。様々な方策を考えた上で、未然に人間関係の破綻を防止するのは、一つのコミュニケーション能力と言って差し支えないのかも知れない。


2ハインリッヒ


人間不信という人生に立ちはだかる壁を乗り越えた自分が、次に目指すのは石橋を叩いて渡るスタンスである。今私は勤めている企業から必要とされる人材となった。或いはかつて所属した企業では必要のない人材であったかも知れないが、これを実現することで彼らを見返したと考えている。こうして私のリベンジは終わった。然らばこれからは世のため、人のために役立つことを常に考え、趣味と仕事を問わず、充実したセカンドライフを歩んでゆきたい。


横町コメント

以前は不徳にも、よく過去の出来事が頭を過り、つまらぬことを反芻に及びましたが、今はすっかり影を潜め、前を見てポジティブに生きれるようになりました。人を信じれるようになってからは、どんな人にも自分から頭を下げられるようになりました。それでも中には挨拶のできない人も居ます。そんな人にどう対応してよいのか、悩んだこともありました。これに対する答えはどんな文献をあさっても出てきません。こんな時こそ、禅の教え(人間はファジーな領域に差し掛かった際は、自分自身が判断を下さねばならない)が生きてきます。


この難問に対して今の自分はこう考えます。イソップ物語の「北風と太陽」に登場する旅人はどんなに強い北風が吹いてもコートを脱ぎませんでした。然らばここに太陽の出番があります。暖かい日の光を降り注げば、旅人はいつかはコートを脱ぐことでしょう。光を降り注ぐからこそ、旅人はコートを脱ぐのです。ここまで来ると宗教の世界にも繋がるのかも知れません(笑)本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。


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3六百横町

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