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本日は去る5月13日に尋ねた東街道の続きをお伝えしたい。千貫神社(せんがんじんじゃ)は先に紹介した東平王塚古墳とは道路を隔てた向かい側に位置している。

1千貫神社入口

オレンジ色の鳥居をくぐると左のようにこのような祠が立っている。以下宮城県神社庁より引用


千貫神社所在地:宮城県岩沼市南長谷諏訪128-2

主祭神は大山祇神、別雷神、建御名方命、天御中主神、菊理比売神、伊邪那岐神とされる。天平元年(729年)僧善快が千貫標松領に大山祇神を祭り漁船守護の神として深山大権現と称した。伊達政宗は、太刀、脇差を寄進。七ヶ浜より相馬に至る七ヵ村の漁民は、山嶺の松の保存のため金子一千貫を仙台藩に献じた。


明治42社を合祀し社号を標松千貫松にちなみ千貫神社と改称。旧千貫村は純農村地帯であり、かつては農事に即した様々な祭事や年中行事が見られたという。デザイナーの中野裕通氏の生家である。


2祠・石碑

社殿は比較的新しく造られたようだ。

3千貫神社境内

石段の擦り減り具合がすごい。下のほうほど摩耗の度合いが高く、これまで多くの参拝者がきたであろうことを予感させる。

4すり減った怪談

30メートルほどの階段を駆け上がると、このようになっている。ネットフェンスの先は岩沼ゴルフアカデミーというゴルフ練習場になっている。参道がぶつ切りされた感は否めない。どんな事情があったかはわからないが、ゴルフ練習場の造成がこの神社に何らかの変貌をもたらしたようだ。

5三つの祠

この謎を解くために、今昔マップで明治後期の地図を調べてみた。近年の航空写真と見比べて頂きたい。何と昔はゴルフ練習場のど真ん中に神社があったことが判明した。明治後期の地図を見ると神社であることを示す鳥居のマークが二つついているが、ゴルフ練習場の北(地図で言えば上)にも神社があったようだ。ゴルフ練習場の地権者と現在の神社の地権者とがどういう関係にあるのか?このあたりは想像するしかない。

6今昔マップ

祠のあったところから参道を見下ろしてみた。阿武隈川方面が見渡せる場所なので、或いはその昔、砦として使われた経緯があったのかも知れない。

7参道を見下ろす

横町コメント
かつては航海の目標になっていた「千貫松」が千貫山の山頂に生い茂っていたとされますが、この辺りは縄文の頃から人々の営みがあった(南から樋遺跡、長谷古館跡、柳遺跡、台遺跡)ようで、古くから、この千貫山が信仰に結びついていったものと察しております。今でこそ巨木はなくなったようですが、往時の縁が偲ばれます。

原遺跡の発掘調査で出土したものから、近年原遺跡が玉崎柵の一部でないか?という説が有力視されていますが、標高200メートル弱の千貫山からは見通しも利くので、戦乱時は見張り台として使われた可能性もあります。恐らく神社の敷地の一部が何らかの理由で手放され、ゴルフ練習場造成のため山が切り崩されたものと思われます。由緒ある神社なのになぜこのあたりのいきさつは機会があったら調べてみたいと考えています。

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8六百横町
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