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3.11 福島原発で命を懸けた英雄 ~世界を救ったFukushima 50~ 各国が称賛した英雄と、それを貶める朝日新聞(虎ノ門ニュースより)


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4箇月前の虎ノ門ニュースからである。9年前の福島第一原発で何が起きたのか?知りたいかたも多いことだろう。国民のその願いをかなえるべく企画、撮影されたのがFukushima_50である。ちなみに監督は若松節朗氏で5年がかりでの制作とのことである。

但し造り物であるなら見ないでもいい。どうせ見るのなら事実に近いものを見たい。虎ノ門ニュースの映画紹介シーンを見て、これが単なる疑念に過ぎないことを自覚した。Fukushima_50リリースする映画会社は松竹である。

1第一原発

当日当直になったばかりに、大惨事に巻き込まれた1、2号機の伊埼当直長役には佐藤浩市。手動式のベントを開けるため、爆発が起きた原子炉の中に一緒に誰か行ってくれる奴はいないか?と問うシーンには息を飲む。モデルとなった伊埼当直長にはよほど人徳があったのだろう。

「建屋内は真っ暗でろくに状況もわからない。それでも自分が行けるという者は手を挙げてくれ」と述べると、やや間を置いて「俺が行きます。」「俺も…」という具合に志願する者が続くが、もちろん決死隊である。原作者の門田隆将氏によれば、この作業が成功していなければ東日本は壊滅していたと言う。

2一緒に行ってくれる奴はいないか?

既に故人となられた吉田所長役には渡辺謙である。

3吉田役

こちらが実際の吉田昌郎所長である。「冷却水の注水を中止せよ」という東電上層部からの命令を聞くように見せかけつつ、裏では部下に「俺のいうことは聞くな冷却水は掛け続けろ」と指示していたという。

結果的にこの判断が原発を、そして日本を救うことになったという。官邸や県、東電の上層部からの不条理な要求を突きつけられながらも、決死の覚悟で信念を押し通す吉田昌郎所長。

彼はこの後ガンを患い、2013年に58歳5箇月の生涯を閉じた。謹んで冥福を祈りたい。まさに福島第一原発とともに殉職した人物が吉田元所長であった。武士道をも彷彿とさせる壮絶な死に様だが、男としてこれ以上の死にかたもない気がする。

4本物の吉田所長

官邸の描いた最悪のシナリオはこうであった。

5最悪のシナリオ

菅総理大臣役は佐野史郎である。東電に怒鳴り散らす姿勢が浮き彫りとなる。ガバナンスの頂点に立つ菅首相がヘリコプターで現地を訪れたのは震災が起きた翌日の2011年3月12日AM7時11分のことであった。「何で俺がここに来たかと思っているのか?」…菅直人が常軌を失い、慌てふためき、現場で怒鳴りまくるシーンも忠実に再現されているという。

6管総理

原作者の門田隆将氏は、最高指揮官ともあろう人物が現場に出向き、現場を混乱させたのは軽率で慎むべき行動であったと言わざるを得ないという。

7現場は何メートル

門田隆将(かどた りゅうしょう:本名は門脇護)氏は高知県安芸市出身の1958年生まれで、中央大学法学部卒のノンフィクション作家である。

8原作者

横町コメント
震災の起きた当日、自分は福島第一原発の中で働いていました。すぐに帰るようにとの指示で現場を離れたわけですが、その時のことは9年4箇月前の体験談『福島第一原発からの生還』に詳しく書いています。https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1814.html

「事実は小説よりも奇なり」という言葉とは裏腹に、当日はこれが夢であって欲しいとばかり願いつつ、常磐の真っ暗な小道を深夜まで車で走り回り、必死の脱出を試みた記憶が蘇ります。運よく助かりましたが、一歩間違えば自分も危うかったと振り返っています。

日本人は民度が高い民族と言われますが、自己を犠牲にしようという壮絶な覚悟で戦った50人(実際は六十数名)の成した行為には、まさにこの言葉が当てはまる気が致します。

自分が吉田所長の立場であったら、或いは伊埼当直長の立場であったなら、果たしてそのように行動できたのか?自分と一緒に死のうという人間が一体どれだけ居るのか?そんな思いが脳裏を駆け巡っています。まだ映画は観ていませんが、機会があったなら是非と考えています。

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9七百横町
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