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 映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)予告編 


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去る3月6日に封切りされた映画Fukushima 50を見に行った。自分は震災当日の2011年3月11日に福島第一原発で働いていただけに、以前から大変気になっていた映画である。一昨日に予告編を見て、昨日は虎ノ門ニュースの映画紹介コーナーで概要を知り、この映画を鑑賞することに使命感を強く感じ、本日実現に至った次第である。

この映画の主役は二人と言っていい。福島第一原発の吉田昌郎所長(俳優は渡辺謙)と1、2号機担当の伊埼利夫当直長(俳優は佐藤浩市)である。これは原作者の門田隆将氏がストーリーを構成する上で、当直長を外せないと考えた上でのことと捉えているが、映画を見れば納得である。

1ポスター

鑑賞した映画館はフォーラム仙台である。過去の記事を調べてみたら2014年の2月22日の76年米独英合作の「RUSH」鑑賞以来で実に6年ぶりであった。セカンドライフに入り、やや余暇時間が出来たこれからは映画鑑賞の機会も増える気がする。

2フォーラム

これは事故が起きる前の福島第一原発1号機の中央制御室である。やがてこの場所が修羅場と化すことになる。

3中央制御室

マグニチュード9・0(訂正後に判明)福島県浜通では震度6強であった。この時は非常に大きな揺れが長い時間続いた。原発の中では被害を受けた建物もあったが、これはこれから始まる悪夢の序章に過ぎなかった。地震が起きてから約40分後に10メートルを超す大津波が福島第一原発を襲った。

自分はこの時何も知らずに少し内陸側に行ったところに居たのである。津波が来てから暫くして帰るようにと指示があったが、この時点で原子炉付近で何が起き、これからどうなって行こうとしているのか、知る由もなかった。

4津波

予告編を見て頂ければわかるが、この後SBO(全電源喪失)に見舞われる。これは津波で建屋が壊され、内部に海水が入ったことを意味していた。

青ざめた表情で「SBO!」と叫ぶスタッフ。努めて冷静を装おうとする吉田所長。だが、ポンプが止まって原子炉に水が行かなくなれば空焚きとなる。1号機集中制御室のスタッフのこわばった表情が殺気立ったものを感じさせる。

この後懸命の努力も空しく1号機と3号機で爆発が起きる。当時の菅首相は翌日の3月12日に現場を訪れるが、作品では彼の言動が的を得ていないように描かれている。ちなみに菅元首相は映画が公表される前に映画を見たいと言ったようだが、ストーリーへの影響はなかったようだ。

これは彼が現政権への影響力を失った証と受け止めている。読者の皆さんに問うが、往時の民主党政権と朝日新聞の報道にはどんな印象を抱かれたことだろう?

自分はこのことが、後の我が国の野党弱体化に繋がった一因という気がしてならないのである。旧民主党の面々に告ぐ。「あなたたちはせっかく舵を取らせたのに、原発の対応においてまともな舵取りができなかった。俄か政権を握ったあなたたちには重荷であったのだろう。」

5相次いで爆発

官邸や県が横槍を入れ、混乱する東京電力。「現場は命を張っているんだ!」東電の本部長と第一原発の吉田所長が注水を巡って激しくぶつかる。

6現場来いよ

自衛隊に気遣い「引き上げても大丈夫です」と語った吉田所長だが、自衛隊の辺見曹長は力強い口調で答えた。

辺見「国を守るのが我々の仕事ですから…」・吉田「失礼しました」・辺見「いいえ」そのやり取りに、私は言いようもない感動を覚えた。

自衛隊隊長

横町コメント
この映画を見ただけでああだこうだ言うのは危険ですが、真実を知る権利を有する我々にとっては大変意義深い映画と捉えています。政府の対応がはちゃめちゃに描かれていますが、これは民主党政権がなくなったことで、助長された気が致します。

よく「歴史は勝者によって描かれる」と言われますが、福島第一原発の事故の勝者は誰も存在しません。事故の第一の被害者は福島県民です。隣県である宮城県に住む自分としては、仲のいい隣人ゆえ行く末が大変気になります。

事故の起きる前、自分はよく原発の近くの小高ファミリーゴルフクラブ(福島県南相馬市小高区片草字日光塚37−1)に足を運んでおり、長閑な土地柄もあり、大変気に入っていた場所でした。それが、原発事故によって瞬時にダメになるとは夢にも思っていませんでした。それだけに悔やんでも悔やみきれないものを感じます。

但し、この映画を見て思ったのはあの時の福島第一原発のスタッフの血のにじむような尽力がなければ、福島も仙台も東京も住めない場所になっていた可能性があるということです。

事実は小説よりも奇なり…自分はこの映画を事実に近いものと見ていたゆえに最後のほうは目頭が熱くなり、ハンカチが手放せない状態となりました。これだけ感動した映画を見たのは何年振りだったことでしょう。

福島第一原発は震災当日自分が働いていた職場ゆえに、とても人ごとには思えないのです。廃炉への道のりはまだまだ険しいですが、次代を担う子孫の為に何とか成し遂げて欲しいと考えています。

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7七百横町
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