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 「死ぬ覚悟した」〜福島原発の元運転員、初証言 


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昨日Fukushima 50を見た自分だが、本日は往時の福島第一原発の第一線で死と向き合った元運転員のインタビューを引用した。Fukushima 50では現場の50人(実際は60数名)が英雄として描かれており、大筋で政府や本店の対応に疑問が投げかけられるようなストーリーになっているが、これが果たして本当なのか?井戸川隆太さんの証言を基に考証して行きたい。

履歴を記載する。
3月11日:この日は非番で地震が起きた際は自宅(双葉郡双葉町)に居た。地震が起き、第一原発には17時前後に駆け付けた。敷地の中の耐震棟で待機する。

3月12日:1号機が緊急停止する中で、手動でベント(開放弁)を開ける作業を試みるが、原子炉内は既に高濃度の放射能で汚染されていて、時間制限も加わり思うように作業が進まない。

3月12日15時36分:大音響とともに1号機が水素爆発を起こし建屋が吹き飛ぶ。(この時井戸川さんは余震と見分けがつかなくて画像で知ったという)このとき井戸川さんは中央制御室に居た。吉田所長は本店に対して水を要求するが思うように運ばず、海水を入れようとするが、本店が機器が腐食することを理由に真水を使うように指示。吉田所長は時間的な余裕がないことを理由に独自の判断で海水の使用を決定する。

3月12日~3月13日:水素爆発の後は若い社員(40歳以下)を退避させた。中央制御室には年配者が5、6人残ることとなる。(井戸川さんはこのとき、先輩社員との今生の別れを覚悟して涙ぐみそうになったという)その後、井戸川さんは耐震棟で待機を強いられる。

3月14日11時01分:今度は3号機が水素爆発を起こす。井戸川さんは本店はなにをやるにしても遅いと感じる。同時に現場と本店の意思疎通ができていないのを痛感する。(心情として歯がゆい思いか?)

3月18日:ようやく帰してもらう。避難先は東京。

4月某日:東京で被爆の値を計測すると東海で精密検査を受けるように指示される。東海で検査を受けたところ、被爆値が東京で計測した時よりも下がった為に、その為を被爆値とされてしまう。(意図的な隠ぺいか?)

12月16日:政府(当時は民主党政権)から事故終息宣言(STEP2の完了)が出される。井戸川さんはとても終息と言える状態でないという。

2012年1月:井戸川さんが東京電力を退職

※淡々とインタビューに答える井戸川さん(地元の双葉町出身)。原発の中で何があったか、本当のことを風化させてはならないと考え、インタビューに応じる決心をしたという。

1井戸川さん

井戸川さんが東電を辞めた理由を箇条で記す。Fukushima 50で意図するもの(政府と本店によって現場が翻弄されたことだけを強調している)を感じなくもないが、当時の現場のガバナンスに問題はなかったのだろうか?本店が悪いのか現場が悪いのか?非常に微妙だが、このへんは指揮命令系統や人事権も絡むので、当事者以外はわかり難いところである。

2言い分

横町コメント
映画は所詮造り物であり、目くじらを立ててまで再現性を問題視するべきでないのかも知れません。但し、虎ノ門ニュースで原作者の門田隆将氏の述べた実態と違っている気がします。自分はFukushima 50に水を指すつもりはまったくありませんが、当時現場の第一線におられたかたには、こうした不満を持つ方もあられたわけで、映画イコール事実とは必ずしも言えないようです。

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3七百横町
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