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 Albinoni Adagio 
今回リンクしたトマゾ・ジョヴァンニ・アルビノーニ(1671~1751)作曲のアダージョはバロック音楽であるが、荘厳な旋律を持つ音楽である。恰も儚い人の一生を暗喩するかのような極めて重苦しいものが漂う。人の一生は長いようで短い。そう感じた時、殆どの御仁は人生の黄昏を迎えている。であれば、もっと悔いのない生き方があったはず…そう考える時は既に後の祭である。人生のほとんどは苦しい。愉しいことなどほんの一瞬である。然らば、虚しくて哀しいのが人生の本質なのかも知れない。

それでも自分は生きる。家族の存在が自分の生き甲斐と言える今の私だが、それとて永遠のものではない。現在の自分の存在価値を天に問う時、先祖から受けた深い恩愛に報いるという答えが思い浮かぶが、これも自分が死んで暫く経てば、跡形もなく消え去ることだろう。今夕はこの荘厳な曲を聴き、世を去っていった多くの人物との関わりが、蘇ってくるのである。彼らに出来る供養は必ずしも墓に行くことだけでない。常に心の中に彼らを留め、生前の彼らに自分が出来なかったことを懺悔しつつ、彼らに対して恥ずかしくない余生を送ることを誓うのみである。

死んだ後のことを考える時、人の役に立つ著作を残すことが自分の使命と考えている。だから、私は文学や歴史に力を注いでいる。自分の書いた啓発本が世に出て悩める人を救う。これに勝る幸せがあるだろうか?勿論こうした類の著物は机上の理論であってはならない。鬱を発して絶望感に見舞われた往時を振り返り、自分は本当に死ぬ思いをしたからこそ、こうした作品を書けたのだと思うのである。1月半ばに紹介したのが左のみちのく春秋・新春号(Vol,27)、右が3月半ばに発刊された春号(Vol,28)である。

これまでのサラリーマンの啓発本は、主にフレッシュマンや中堅社員を対象にしたものが多く、内容についてはどうやって組織に溶け込んで自分を磨くかについて書かれたものが圧倒的に多い。逆に、出世を逸し、既に軌道を踏み外してしまった者を対象に書いたものは少ない。自分はここに着目してこの著物を書いた。

サラリーマン敗者というと聞えはよくないが、それは単なる自分の思い込みに過ぎない。誰が勝者で誰が敗者かは、けして世間体で決まるものでなく自分自身が決めるものである。然らば自分に恥ずかしくない生き方を貫くべし。失ってならないのは揺るがぬ信念であり、一個の人間として持つべき矜持である。矜持を持つことが巻き返しと、見くびった御仁への見返しにも繋がるからである。

本著の述べることは何も出世を逃したサラリーマンのみが対象ではない。若手や中堅社員にとっても、読むに価するものを書いたつもりである。勿論、不本意にも勤め半ばで心の病を患ってしまったかたにも是非読んで頂きたい著作である。

ミック挨拶
本日は連休二日目となりました。現役時代に何度も窮地に立たされた自分ですが、開き直ってからは、有給休暇を一切遠慮することなく取得していました。有給は労働者の権利ゆえ、会社に対して悪びれない。例え個人主義と言われてもいい。有給はとって当たり前である。勿論取る理由など述べる必要など一切ない。権利を遂行するのに、理由など全くないからである。自分は周囲の目を一切気にせず有給を堂々と取得した。こうした強い信念を通したことが好結果(定年退職)に繋がった。私はそう思っている。

今悩める労働者諸氏に述べたいのは(企業の)情には、けしてほだされるなということです。企業にとって採算性は不可欠、然らば社員を消耗品と考えるのが彼らの本質。表面上の徳に騙されてはならない。真に徳をもって社員に接する企業は少数派に過ぎない。然らば、彼らに利用されないためには確固たる自己(心の武装)を構築して頂きたいのである。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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