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 志賀直哉旧居 


リンク動画について
本日は久しぶりに尊敬する作家・志賀直哉(1883~1971 宮城県石巻市出身)のことを書きたい。動画をご覧頂きたい。志賀直哉ほど引っ越しをした作家も珍しい。一説に生涯23回と言われる彼の引っ越しだが、その数値とて定かでない。だが彼はけしてネガティブな理由で引っ越しをしたわけでない。想像するに、常に作家としての自らの感性を研ぎ澄ませたかったからなのかも知れない。

引っ越しの多かった彼の作家人生の中で最もインパクトのある場所は奈良の高畑台である。1925(大正14年)に京都山科から奈良市幸町に引っ越してきた志賀は、自らが設計に携わった大邸宅を奈良公園に隣接した高畑に建てた。1929(昭和4年)のことだった。この際自ら設計に携わり、1938(昭和13年)から東京に移り住むまでの10年間(作家として最も脂の乗り切った46歳~55歳の期間)を家族と共にこの家で過ごした。数寄屋造りに加え洋風や中国風の様式も取り入れており、洋風サンルームや娯楽室、書斎、茶室、食堂を備えた極めてモダンな建物であった。

書斎は、天井が葦張りの数奇屋作りで窓から和風庭園と借景である若草山の眺望をうることができる。三蓋山、高円山の眺めが美しく、庭園も執筆に疲れた時に散策できるように作られていた。志賀はここで『暗夜行路』のほか『痴情』『プラトニック・ラブ』『邦子』『鳥取」『雪の遠足』『リズム』『万暦赤絵』『日曜日』『颱風』『豊年虫』などの作品を執筆した。

書斎

志賀を慕って親友の武者小路実篤小林秀雄尾崎一雄、若山為三、小川晴暘入江泰吉亀井勝一郎小林多喜二桑原武夫ら白樺派の文人や画家、また陶芸家今西洋など様々な文化人がしばしば訪れ、文学論や芸術論などを語り合う一大文化サロンとなり、いつしか高畑サロンと呼ばれるようになった。

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前置きはこれくらいにして、本日は今の自分のブログで一体どんなものが読まれているかについて述べたい。これは最近の記事の中でのベスト9である。(Googleアナリティクス分析)或るブロ友様へのコメントが誤解され、今はそのかたと距離を置いているが、このことを書いた記事がダントツでトップになっている。いつしか誤解が解け、縁が復活するのを望みたい。2位には話題の映画「Fukushima 50」が入った。この映画の魅力を少しでも多くの読者に情報発信したいと考えている。本音を言わせて頂くのならば、日常出くわすことに際し、自分がどう思ったのかを忌憚なく書きたい。8位の随筆「石巻人気質」や9位の「日本人の宝とは」などはその典型である。

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古い記事でどんなものが読まれているか?について探ってみた。趣味や嗜好品が上位を占めているが、7位~9位までは文学関連の記事が入った。4年~6年も前に書かれた記事である。ブログを日記替りに使うなら、このようなことはまずあり得ないが、一部のかたがつい最近、志賀直哉や徳田秋声に関する記事を読んで頂いていることが判明したのである。これがどれだけ自分に追い風をもたらしたのか、計り知れないものがある。

2古い記事ライティングページ

横町コメント
志賀直哉ほど家族を愛し、取り巻きに親密に関わった作家も珍しい気が致します。彼の作家人生を飛行機に例えるのならば、スランプはあったものの、安定した水平飛行が多かったと受け止めております。彼はその安定性と奈良と言う特化した立地を利して、様々な作品を世に送り出して行きました。正の連鎖とはまさにこのようなことを指すと私は考えています。

実は自分は2012年の12月志賀直哉の私小説「自転車」https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1510.htmlをブログに掲載し、それが縁で大阪府M市在住のブロ友様Bさんと知り合いになりました。これだけで自分は志賀直哉のことをブログで取り上げてよかったと考えています。Bさんとは今でも親しくお付き合いさせて頂いています。どんな記事がどんなかたとの縁を取り持つかは全くの未知数ですが、これがブログの醍醐味でもあります。

文学や歴史をブログで扱うのは骨の折れることですが、このような掛け替えのない恩恵も期待できます。これを大きな心の拠り所としてこれからもブログと言う媒体に真摯に向かって参りたい所存です。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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3七百横町
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