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PACHELBEL CANON PERFORMED AT ST ANN'S CHURCH, MANCHESTER - JONATHAN SCOTT (ORGAN SOLO)


リンク曲について
この曲はバロック時代のドイツの作曲家ヨハン・パッヘルベル(1653~1705)の室内楽曲で、作品番号はPWC 37。前半のカノンは「パッヘルベルのカノン」として有名である。「パッヘルベルのカノン」が作曲されたのは1680年頃と言われている。実は私はこの曲に関する深い思い入れを有している。50前後に或る事情で精神的不調に陥った私は或る仙台藩士の力を借りて窮地から脱することができた。

その侍とは支倉常長である。大変不思議なことだが、私は支倉常長に成りきることで幸いにも復活に至ったのである。いきさつを話せば長くなるので、詳しく知りたいかたは中編小説『我が後半生と武士道https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-956.htmlをご覧頂きたい。

その後、躁うつ病寛解後8年を経て、私は2015年1月25日に仙台藩志会に出席し、支倉常長の子孫とお会いしている。https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1060.htmlお会いしたかたは第13代支倉家当主の支倉常隆氏である。大変お気の毒なことだが、支倉常隆氏はその交通事故の遭われて、寝たきりとなったと聞いている。今は常隆氏のご子息が、常隆氏に代わって仙台藩志会の行事に出席されているという。常隆氏のご子息とはいつしかお目にかかりたいと考えている。

メキシコを経てヨーロッパに渡った支倉常長は今から400年前の1620年の9月20日(元和6年8月24日に日本に帰国した。まさに満身創痍の帰国であった。7年にも渡る長い年月を主君・伊達政宗の命(スペインとの条約締結)に懸けたわけだが、幕府のキリシタン弾圧という逆風に遭って成就には至らなかった。だが、彼の苦悩に満ちた7年間は少しも恥じることのない栄光の時でもあった。宮城県民にとって支倉の偉業は今でも心の拠り所でもある。

彼はローマでローマ法王と謁見し、貴族に列せられた。侍として忠誠を貫き、一方でキリシタンとなって条約締結に対して尽力の限りを尽くしたのである。この肖像は乱F様のサイトから引用させて頂いた。理由は数ある肖像の中で最も貴族を感じさせるものだからである。

さて、パッヘルベルのカノン支倉常長との関連を述べたい。実はこの曲は仙台市博物館のミニシアターで上映される「支倉常長・光と陰」に登場するBGMでもある。今宵は400年前に帰国した彼の偉業を讃えながら、彼の帰国後60年後に作られた名曲の調べに酔い、美酒に酔っている。大義に生き、大義に死ぬ。侍としてこれほどの栄誉はない。

1乱F様

横町コメント
今更隠し立てをするつもりは毛頭ありません。私は50代を前にして出張先の九州で鬱を発し、躁鬱病への変異を経て、二年半後に寛解(症状が落ち着くこと)に至りました。鬱から躁鬱病に変異する際に、支倉常長に関する動画(2007年12月27日NHK放映 その時歴史が動いた「伊達政宗 天下に旗をあげよ ヨーロッパにかけた夢」)を何度も繰り返し見たのです。(少なくとも200回は見ました)

但し、躁うつ病特有の「成りきり」はそんなに珍しいことではありません。たまたま私の場合の成りきりが仙台藩士・支倉常長となったのは、以前から彼の経歴を知っていたからであったと捉えています。2008年の2月頃私が支倉に成りきった際、一時的に周囲が見えなくなり、その後様々な紆余曲折を経て寛解に至りました。

あの時の体験(睡眠時間は3時間もあれば十分でした)は今でも半信半疑です。詳しくは小説『躁とうつ』https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1896.htmlをご覧ください。

これから帰国400周年に当たる9月20日までは、支倉常長の偉業を讃え、在りし日の彼を偲びたいと考えています。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。
  

2七百横町
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