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本日私は久しぶりに岩沼に向かった。理由は二つの城跡の取材である。文芸誌「みちのく春秋」に連載中の『東街道をゆく』の「その3」を書くためである。前回は金蛇水神社のことをブログに書いたが、これだけでは何か物足りないものを感じたのである。宮城県(一部は岩手県南部)の城や館の跡を巡るとき、参考になるのが郷土史家・紫桃正隆氏の書いた『仙台領内古城・館』(全5巻)である。本書は1400箇所近い城や館を取材した労作である。

紫桃氏は教鞭を執っていたので、現役時代は二足の草鞋となる。今年で没後12年となるが、郷土史に対しての彼の貢献度は大きい。まさに偉大な郷土史家と言っていい。多くの郷土史家が今でもこのバイブルを持って城跡や館跡巡りを行っているはずである。そういう私もこれにあやかり、岩沼市内の城跡を回ることにした。

1岩沼地区三つの城

Google3D立体画像で本日回ったスポットをご確認いただきたい。①長谷城跡②鷹硯寺③鵜ヶ埼城跡の三箇所である。鵜ヶ埼城跡はやや東街道から外れているが、居住した武将が錚々たる顔ぶれ(橘道貞・藤原元良・源孝義・安倍貞任・藤原清衡・北目左門兵衛助清…)ゆえ、取材の対象とすることにした。現在の県道39号線がほぼ東街道と言われるが、ところどころに旧道が繋がっていて、正確なルートはとても覚束ない。然らば細かい道筋にこだわることなく、近傍に何があるのか?を主眼において回ったほうがいいと考えたのである。

2Google3D立体画像

長谷地区でも南側の辺りを南長谷と呼んでいる。長谷城は戦国期には豪族(後に相馬がた家臣、その後に伊達がた家臣)長谷氏の居城となり、周辺には家臣団の屋敷もあったようだ。

3南長谷地区Google3D立体画像

長谷城は典型的な平城だが、微高地(なだらかな丘)となっている。

4蛭航空写真

長谷城跡には長谷氏の末裔のかたが住んでおられる。アポなしの突然の訪問であったが、運よく17代目の当主から、いろいろと話を聞かせて頂いた。立派な資料(複数の郷土史家がグループで調べた「長谷氏と古館」)もお持ちだったが、当主の御厚意によりコピーさせて頂いた。これは長谷家家譜である。(17代当主の二代前まで、及び18代当主のお名前は個人情報保護を踏まえ、公表を控えます)

5長谷家家譜

横町コメント
岩沼から帰ってきて夕方になりましたが、この時間からだと、とても詳しい記事を書くには至らないと思い、敢えてハイライト的な記事としました。詳しいことは明日以降、腰を落ち着けて書きたいと思っています。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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6七百横町
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