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現在仙台市の電力ビルの1階ホールで写真展が開催されている。その名は「流域の暮らしを彩どる只見川の恵み」である。実は自分は只見川にただならぬ思い入れがある。それは三十代後半に只見川の源流に近い福島県南会津郡只見町に出張したことがあったからである。子供が小さいせいもあって週末は極力仙台に戻っていたが、片道4時間半近くもかかる遠隔地であった。

磐越道の会津坂下ICで降りてから2時間も下道を走るルートであった。只見町はダムの町として有名だが陸の孤島という風情も感じる町である。過疎の町なので、若者のほとんどが他の地域に出て行くという土地柄である。

1流域を彩どる

写真展に掲載されている作品は只見町の隣町である会津金山町の風景である。Google航空写真で仙台との福島県南会津郡との位置関係を確認して頂きたい。

2Google航空写真

これは霧幻峡という場所(会津金山町)で撮影した幻想的な写真である。撮影したのは最近と思われるが、恐らく数百年前からこれと変わらぬ渡し舟が只見川を往来していたことだろう。濃い霧に見舞われているが、秋口に私が仙台~只見に向かう際の朝の多くがこのような気候(濃霧に包まれた只見川を眼下に見下ろしての走行)だったと記憶している。

3霧幻峡の渡し

只見川に沿って只見線が走っている。ローカルだが撮り鉄には有名な路線である。

4金山町

霧幻地蔵という作品である。昔人は己の行く末を神仏に託すしかなかった。その切なる願いを受けた地蔵が、恐らく霧幻地蔵なのだろう。

5霧幻地蔵

断崖に彫られた石仏、社や祠に接すると、昔人の一徹な思いが時空を経て現代に蘇るような不思議な感覚に見舞われる。自分もこの時代に生まれれば、今とは全く異なった死生観を持つに至ったことだろう。飢饉や疫病に都度遭遇した昔人は、自ずと神仏の加護を期するような生き方をするという流れにならざるを得なかったのだろう。

6神仏

横町コメント
まだまだ若僧だった三十代後半、自分はこんな光景を毎回のように見て仙台と只見を毎週往復していました。往時は全く眼中になかった神仏絡みの風情が非常に気になります。事情が許せば再度この地を訪れ、歴史に彩られたこの地を訪ねたいと考えています。

ちなみに明治維新で活躍した長岡藩(現新潟県中越地方の北部から下越地方の西部)の河井継之助は慶応4年(1868年)の8月16日(新暦で言えば10月1日)に塩沢村(只見町と金山町の中間地点)で官軍の追っ手を逃れる途中、息を引き取りました。亡くなる前日の15日には自らの亡骸の火葬を命じたと言います。武士らしい見事な往生でした。

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7七百横町
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