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本日の週の中休みを利して、私が向かったのは仙台市宮城野区木ノ下4丁目の旧道・東街道である。左側の石碑には東街道と刻まれている。突き当りのT字路を右に向かえば陸奥国府のあった多賀城に至る。本日は天気も上々ゆえ、そのルートを辿り周辺の史跡に接することで、今手掛けている『東街道をゆく』の執筆の追い風としたい。

1東街道石柱とT字路

Google3D立体画像をご覧頂きたい。上の写真を撮影した方向を確認して頂きたい。黄色が本日のルートである。今回もバイクを使っての取材である。

2石碑位置と進路

右側の白い建物は聖ウルスラ学院英智幼稚園である。或いは源頼朝による藤原征伐のルートか?それを思わせるかのような広い通りである。

3右側は幼稚園

岡陽一郎著『大道 鎌倉時代の幹線道路』P46より引用した地図をご覧頂きたい。岡氏は現仙台市内の東街道について、複数のルート(破線)があったことを指摘している。赤はこれまで自分が辿った西側ルート、黄色が東側ルートである。岡氏は伊達政宗による1600年からの仙台城築城が中世までの東街道を大きく変えたとしているが、今となって詳細は定かでない。言えるのは東街道はけして一本の単調な道ではなかったということである。赤と黄色の道路を繋ぐ道がはっきりしないが、現在の連坊小路のあたりか?

4北側岡陽一郎地図

新寺通との交差点を過ぎると車線は御覧の通り広くなる。付近は高層マンションが立ち並んでいて、東街道の面影はほとんど感じることはできない。

5楽天スタジアム近く

宮城野八幡神社は桓武天皇が坂上田村麻呂の勧請により建立したとされるが、昭和27年にこの地に移設されたもので、かつては宮城野原北東部(現仙台運送㈱貨物ターミナルの辺りか?或いは総合運動公園の辺りか?)にあったとされる。神社の東には樹齢1200年を優に超す乳銀杏がある。

6宮城野八幡神社と乳銀杏

明治後期と現在の地図を見比べて頂きたい。赤が私が推定した東街道のルートである。

5新旧地図比較

横町コメント
複数存在したと思われる東街道ですが、実際にどんなところを通っていたのか特定することは困難を伴います。恐らく時代の変遷とともにルートを徐々に変えていったと考えるのがごく自然と考えています。それだけにこれに迫ること自体、ロマンに満ち溢れたものと言えます。

今回はとても紹介できないほどの写真を撮影してきたので、これを幾度かに分割して記事に掲載したいと考えています。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。
  


7七百横町
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